支部の奉仕部門の実務責任者のメンバーが強い実権をにぎっているのかもしれない
会衆の長老や、巡回監督というのは、口をそろえて、おかしなことをいうことが、結構あります。でも、口をそろえて言うということは、長老や巡回監督の意思ではなくって、その上に、そのことを決定している人たちがいるということです。
僕はこれは、支部のだれかなんだろうなぁと思っていたのですが、以下の記事をみて、支部の奉仕部門の実務責任者のメンバーであるような気が強まってきました。
支部の内部事情をお伝えしたいと思います。
昨日のブログで奉仕部門の実務責任者のお話をさせていただきましたが、彼らは支部委員ではありませんが、長い経験を持つ兄弟達数人で構成されています。
彼らにはそれぞれアルファベット三文字の称号が与えられており、会衆宛の内密な手紙の右上にそれが付されているのを長老の皆さんはご存知でしょう。
実際のところ、各会衆の諸問題を含め、組織内の重要な決め事を決めているのは、彼らなのです。(勿論、寄付の使途についても彼らが決めています)
(奉仕部門の秘書の兄弟たち)
たとえば集会に出席する方針として「37度くらいの熱で集会を休むなら認識が足りない」といった内容のことを、複数の長老から聞いたことがあります。
複数の長老が言っているということは、上からの指導があるということで、おそらくこれは、日本支部なのでしょうが、おそらくこの情報によれば、奉仕部門の実務責任者の数人の兄弟の決定なのでしょう。
ベテルの奉仕部門の数人のメンバーのろくでもない決定が、巡回監督を通して、全会衆にばらまかれているような気がします。
「テレビはサタン」とか「髪の毛が耳にかかわるのはふさわしくない」とか「夏にクールビズは服装としてふさわしくない」とか「ひげの否定」とか「方言の否定」と「スカートの強制」とか、ろくでもない方針は、この奉仕部門のメンバーの意思なのでしょう。
僕は、本人の決定が尊重されるような雰囲気になることを願っています。エホバとの関係で、その人の信仰や思い、決定が、きちんと尊重されるような雰囲気をエホバの証人の社会に育てていきたいです。
それなのに、長老、巡回監督、日本支部の奉仕部門のメンバーは「指導に服すること」がもっとも重要な価値観として、兄弟・姉妹に教え、圧迫、強制、抑圧を繰り返しています。ぐるになって、削除や排斥を計画的に行うということも、裏ではなされているようです。なんと悲しい現実でしょうか。
本人の神に抱く良心、信仰、思いが尊重され、それに基づいた本人の決定が尊重されるようなそんな雰囲気がほしいです。抑圧はよい実を生み出していません。
聖書の基本的なポイントを、もう一度どうか吟味してください。
わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。
(コリント第二 1:24)
パウロが語った本人の信仰を尊重するという観点をよくご覧ください。