2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

富んだ人が神の王国に入るのはとても難しい

イエスは、富んだ人が神の王国に入るのはとても難しいといわれました。 「あなた方に真実に言いますが,富んだ人が天の王国に入るのは難しいことでしょう。再びあなた方に言いますが,富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通るほうが易しいので…

神の存在する場所について

神はどこにいるかという質問に対して、どこどこだと答えることはできないと思う。「天に」と答えることもできるし、「あらゆる場所に」と答えることもできる。 神は、物理量ではなく、霊であられるので、その存在のあり方は、人が神をどのように表現するかで…

最終回「記念の墓の中にいるものがみなでてくる」 | 罪と死について考える

イエス・キリストは、伝道活動の中で、病気の人を癒し、死んだ人を生き返らせました。到来する神の王国の力が、どのようなものかを、人々に見せました。 イエスは、人々の罪のために処刑され、あがないの犠牲をささげました。そして、神はイエスを、三日後に…

お互いが見栄っ張りだとしんどい

世の中は大変だ。男も女も、見栄っ張りでなくっちゃならない。男が弱さを見せれば、弱さのレッテルをはられて、うわさされてしまう。女性も嘘をつき通さなくっちゃならない。これは、大変だ。 どうしてこうも、見栄っ張りでなくっちゃならないのかと、いつも…

体のともしびは目です

体のともしびは目です。 「体のともしびは目です。それで,もし目が純一であれば,あなたの体全体は明るいでしょう。しかし,目がよこしまであれば,あなたの体全体は暗いでしょう。あなたのうちにある光が実際のところ闇であれば,その闇はどんなにかひどい…

ソロモンの祈り

今日は、電車の中で、歴代第二を読んでました。そこには、ソロモンの祈りが書かれています。印象に残った祈りだったので取り上げてみます。 「もし彼らがあなたに対して罪をおかし(罪をおかさない人はひとりもいないのですから),(中略),『私たちは罪をお…

あなたは何を見に言ったのですか。柔らかな衣で装った人ですか

僕は、服装や髪型やひげについて書くことが多いです。それは、人々が過度に外見を気にしすぎる傾向があるからです。イエス・キリストも人々のこの傾向を見抜いていました。人々は、王の家にいるような服装をした人に、引き込まれがちです。きっちりと立派な…

スーツは家の人にとっては見苦しい場合が多いと思う

僕は、スーツ強制伝道とスーツ強制集会は、やめたほうがいいと思っています。スーツとネクタイを付けている人は、自分のことを立派だと思っているかもしれないけれど、それは、自分の価値観であって、訪れた家の人の価値感とは異なると思います。 もちろんス…

その行ないに倣ってはなりません

自分たちの罪については見ないように指導し、人の罪については、強く責めるように指導している、宗教指導者たちがいます。 自分たちの過ちや間違いについては、寛容であるべき、許すべきと指導して、他の組織や他の人の罪については、厳しく、許してはならな…

第八回「復活 - 死と罪からの勝利」 | 死と罪について考える

聖書で感動的な場面があります。それは、ヨハネの福音書に書かれている、イエスがラザロを復活させる場面です。復活というのは、死んだ人が生き返るということです。復活は英語では、リザレクション(resurrection)といいます。何かかっこいい響きですね。 で…

会衆の高齢化の問題を考えよう

日本全体も高齢化ですけれど、日本の会衆は、それにもまして高齢化社会になってしまいました。結婚することや、子供を作ることを、宗教指導者たちが抑圧してきたので、さらに追い討ちをかける結果となってしまっています。 どんな問題が生じているでしょう。…

高齢の兄弟・姉妹たちへ

会衆は、どんどん高齢化しています。それは、会衆の方針があまりに意固地で、多くの若い人たちを痛めつけてきたため、若い人たちが、残らなかったからです。自分の撒いた種は、自分で刈り取ることになります。 老齢の兄弟・姉妹たち、もっともっと、寛容にな…

互いに罪を告白して、許しあうということ

僕は、罪について語るということは、悔い改めの感情も含まれていると考えています。それは、自分の恥ずかしい部分だからです。秘密を持ち合って、お互いを監視しあうというのは、非常に窮屈です。そんな窮屈な場所には長くはいれません。 ある宗教の宗教指導…

第七回「あなたは健康になりたいですか」 | 罪と死について考える

イエス・キリストは宣教活動として神の王国を宣べ伝えました。また、イエスは、人の病気を治したり、飢えた人に食料を分け与えたりしました。 イエスは、目の見えない人を見えるようにし、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、皮膚病で苦しむ人を治し、悪い…

キリストを再びはりつけにする人たち

キリストは罪を犯さなかったのに、自分を「神の子」「イスラエルの王」と呼んだ罪で、死に処せられました。罪のない人を罪に定めるこれが、世の傾向としてあります。 ある宗教団体に所属していることが、世から逃れることなのではなくて、罪のない人を罪に定…

嫉妬、ねたみ、うらみと戦う

イエス・キリストは、弟子たちに外面の装いが、人を汚すのではなくって、人の口からでるものが汚すのだといいました。 そうして,群衆を近くに呼んでこう言われた。「聴いて,その意味を悟りなさい。口の中に入るものが人を汚すのではありません。口から出る…

第六回「イエス・キリストの贖い(あがない)」 | 罪と死について考える

ここまでは、罪の始まり、罪が全人類に受け継がれていること、さらに多くのことが罪に定められたこと、だれも罪から逃れることはできない、ということを見てきました。 第七回で、折り返し地点を迎えましたが、ここからは、罪と死が取り除かれる希望のお話で…

自制は大切だと思う

自制、それは、自分を自分自身でうまく調整することだ。自制ができないと、腹が立ったときに、子供をムチで打ち叩いてしまう。自制ができないと、不必要に、人を痛めつけてしまう。自制ができないと、自分の感情を打ち壊す。 正面から戦うことだけが、正義じ…

形だけの断食をエホバは批判なさる

「憐れみのない犠牲」「心のない形だけの行為」そのような事柄に、エホバは飽き飽きしておられました。実際、断食も、他の人にみせるため、争いのため、自分の声を高く上げるためといったような、形だけの行為として実行されていたようです。 また、地の人た…

断食のもつ意味

僕は、ずっと断食って言うのは、変な行為だなぁと思っている。それは、夕方まではご飯を食べないという行為だけれど、それが何を象徴的に意味するのかよくわからななかった。 断食というのは、エホバがイスラエルに与えた律法の中のひとつでした。 すなわち…

「生きてほしい」という神の気持ちは類推できる

神は「生きよ」といわれます。 「『「ときに,わたしがあなたのそばを通りかかり,あなたが血にまみれて[足を]ばたつかせているのを見,血にまみれていたあなたに,『生きつづけよ!』と言った。そうだ,血にまみれていたあなたに,『生きつづけよ!』と言っ…

第五回「あらゆる人は神の栄光に達しない」 | 罪と死について考える

自覚すべきことは、人は罪の内にいるので、だれひとりとして神の栄光には達し得ないとうことです。人間の視線というのは、あの人は優れているとか、あの人は劣っているとか、そのような視線に満ちています。 人は、どんなときでも、あの人は善いとか、自分は…

第四回「罪科のない者を罪には定めなかったでしょう」 | 罪と死について考える

人はより多くのことを罪に定めてきました。それがなんら罪ではないにも関わらず、多くのことに対して非難を与えてきました。その形は、いじめや怒鳴ること、またそれが許されない場合は、無視や避けるという形で現れてきます。 たとえば、服装に関していえば…