イエス・キリスト
イエスは、罪の犠牲となられましたが、イエスが、望んでいたことは、それが、罪に関する最後の犠牲であることです。イエスを、弟子たちが守ろうとしましたが、犠牲になるのは、自分だけでよいと考えました。また、それが神のご意思でもありました。 イエスが…
命の木とイエス・キリスト、善悪の木と愛のおきての関係がわかりますか。 アダムが罪を犯したときには、エホバは、アダムをエデンの園から追い出し、命の木を与えないといわれました。しかし、罪から立ち返ったなら、再び命を与えるつもりでした。 命の木と…
イエス・キリストの言葉の中には、考えさせられる言葉が多いです。どうして、イエスのひとことは、こんなにも多くのことを見抜いてくれるのかといつも驚いています。それで僕は、イエスを、神の子と信じるようになりました。 イエスは、さまざまな人を受け入…
キリストは罪を犯さなかったのに、自分を「神の子」「イスラエルの王」と呼んだ罪で、死に処せられました。罪のない人を罪に定めるこれが、世の傾向としてあります。 ある宗教団体に所属していることが、世から逃れることなのではなくて、罪のない人を罪に定…
プロテスタンやカトリックの方にいいたいことは、教会にいったときに、イエス・キリストを神として示すのはよくないんじゃないかということです。そのせいで、多くの一般の人は、キリスト教というのは、イエス・キリストを神とする宗教だと勘違いしてしまっ…
聖書には、イエスの到来の日のことについての記述がたくさんあります。聖書が一貫して述べていることは、その日がいつであるかは、わからないということです。近づきつつはあります。けれども、あせったりしても意味がありません。その日は、いつかわからな…
自分は良い子でしたか。それとも悪い子でしたか。自分を責めるということがありますか。人や仲間や親から責められたことがありますか。信頼している人から裏切られたことがありますか。親や先生や長老たちや、友人や。 聖書のお話をすると、イエス・キリスト…
すべてのものの根源であられる方エホバ神は、父と呼ばれ、イエス・キリストは子と呼ばれます。イエス・キリストは、父からでており、父の言葉を話します。それで、イエス・キリストの言葉を尊ぶ人は、父を尊んでいることになります。イエスが、父の言葉を語…
たくさんの預言者が聖書には描かれています。モーセ、ヨシュア、サムエル、エリヤ、エリシャ、イザヤ、エレミヤ、ダニエルなどのたくさんの預言者いました。預言者というのは、神の言葉を託された人のことで、神の言葉を語った人のことです。 そして、エホバ…
統治体は大いなるバビロンと呼んで、カトリックとプロテスタントを邪悪な人たちにしているし、反対にカトリックとプロテスタントは、三位一体を認めない教会を、異端と呼んで、のけ者扱いしている。 それぞれの教会が、自分の権益のための、独自の教義を打ち…
どうして、イエス:・キリストが大切なのでしょうか。今回は、イエス・キリストが主要な代理者であるという点について考えてみたいと思います。 神はこの方を主要な代理者また救い主としてご自分の右に高めました。 (使徒 5:31) パウロがイエスのことを主要…
イエス・キリストの人物像というテーマで書いてきましたが、今回で最終回です。 イエスは地上にこられた間「真理」についていつも語っていました。真理には「ほんとうのこと」という意味があります。そうです、実は聖書を学ぶならば、人間と神についての本当…
神の王国に関するよいたよりは、人の住む全地で宣べ伝えられます。イエス自身がこういっています。 そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。 (新世界訳聖書…
僕たちはたくさんの心配ごとをすると思います。これがなければうまくやっていけないとか、こういう生活をしなければ変に見られるとか、自分に能力のないことや、自分の容姿に自信がないこととか、たくさんの思いわずらいがあると思います。 また家族関係、友…
死は悲しいです。死の別れはとてもさみしいです。不慮の事故や病気で親しい人がなくなったとしたらとても悲しいですね。もう一度会いたいなぁと思うんじゃないかな。もう一度話せたらなぁと思うんじゃないかな。 どうして人は死んでいくのですか。どうして人…
神の霊が働いているかどうか、それを僕たちはどのようにして知ることができるでしょうか。どのようなことによって、聖霊が確かに働いているということを見分けることができるでしょうか。 木について考えてみてください。木は成長して、大きくなるとやがて実…
エホバの証人と聞いて、多くの人は、窮屈な宗教というイメージを持っているのかもしれません。またキリスト教の中でも制限の多い宗教というイメージを持っておられるかもしれません。 どうしてこんなイメージがついてしまったんでしょうか。それは、僕たちの…
イエスは生涯いつでも、神の義を第一に求めました。罪を犯さずに、罪のない犠牲をエホバに捧げました。また、多くの義を人に求めることもしませんでした。必要以上の義を求めることは、パリサイ人の特徴でした。 僕たちは、いつも罪に対しては注意深くあろう…
みなさんは、自分が悪いことをされたらその人のことをどうしますか。仲間の兄弟姉妹が、悪い人に言葉や行動で傷つけられたらどうしますか。 「なんてひどい人だろう」といって、その人の悪口を言ったり憎んだりしますか。「もう許さないんだから」と怒りをそ…
仲間の兄弟・姉妹を見て「こうしたほうがいいんじゃないの」と心の中で思うということはよくあることではないでしょうか。小さな点について、自分の美的感覚の基準とずれていると、いらいらしてしまうのです。 そして、悪いことに、自分の美的感覚を、一般常…
このテーマも18回目になりました。最初はイエスがどんな経歴を持っていたかということや、どんな活動をしたかということを書きました。続いて、イエスの人柄について、どんな人かということを書きました。 最後のサブテーマとして、イエスの言葉をいくつか紹…
優しい人が好きとよくいいますね。優しくされたら好きになってしまいますね。自分に関心を示してくれてるんだなぁということが続くと好きになっちゃいますね。男性は単純ですね(僕だけかもしれないけれど。) 話をしてみて話が続くかどうかは大切だと思うよ。…
勇気が必要と感じるときは多いと思います。もう少し勇気があったらなぁと思うときがきっとあると思います。 勇気を奮い起こすっていうのは、でも実際は難しいですね。勇気を出して行動したら、自分は白い目で見られるんじゃないかとか、変に見られるんじゃな…
イエス・キリストは、ヨハネの福音書では、比ゆ的に「神の言葉」と呼ばれています。地上にこられたときも、自分の言葉を話していていたのではなくて、いつでも神の言葉を語っていました。 イエスは、ヘブライ語聖書についても、熟知していました。神が人間に…
キリスト教といえば、特徴的なのは「神への愛」と「隣人への愛」ですね。僕たち日本人にとっては、人へ優しくするというのは、イメージできますけれど、神を愛するってなかなかイメージできないですよね。 「見えないし、触れることもできないものを愛するっ…
イエス・キリストの最も際だった特徴はと聞かれると、きっと「愛」と答えると思います。イエスは、愛情深い人でした。特に弱い人や罪を持っている人たちに対しては、多くの憐れみを示されました。 健康な人ではなくて、病気の人のために自分は必要と感じてい…
イエス・キリストは思いやり深い人でした。ペテロを含めて、失敗した弟子を、優しく諭しましたが使途としての立場を奪ったりはされませんでした。ご自分がなくなる最後まで弟子たちを愛しました。 イエスは預言の中で、多くの人の病気や痛みを担うことになっ…
前回までは、イエスがどのような活動したかということを中心に書いてきました。天におられましたが、地上にこられ、神の王国を宣べ伝え、購いを供えて、復活して天に昇られました。 今回からは、イエスがどのような人だったのかを書いてみたいと思います。僕…
イエス・キリストは、まるで大きな罪を犯した罪人のようにして、苦しみの杭の上で処刑されました。生まれてから罪を犯さず、まったく傷のないものとして、罪の贖いをエホバに差し出しました。 義人が罪人のために死にました。良い人のためならば、僕たちは命…
誰かの連帯保証人になって、大きな借金を背負ってしまったという状況について考えてみてください。自分が悪いわけでもないのに、ひどい借金を背負ってしまいました。 豊かな生活は失われてしまいました。汗水たらして、辛い思いをして働かなければなりません…