イエス・キリストの人物像 第18回 イエスの言葉「嘆き悲しむ人たちは幸いです」

 このテーマも18回目になりました。最初はイエスがどんな経歴を持っていたかということや、どんな活動をしたかということを書きました。続いて、イエスの人柄について、どんな人かということを書きました。

 最後のサブテーマとして、イエスの言葉をいくつか紹介したいと思います。僕は、イエスの言葉というのは、本当に深く考えられた言葉だなぁと思います。いつでも父について考えていたし、いつでも弟子たちや人々について考えていました。

 イエスの言葉が本当に励まされるものが多いですね。では一般的には、山上の垂訓と呼ばれるイエスの言葉を今日は紹介しますね。イエスは、群集を前にして言葉を述べていきます。その中にこんな言葉があります。

「嘆き悲しむ人たちは幸いです。その人たちは慰められるからです。
(新世界訳聖書 マタイによる書5章4節)

 イエスは、嘆いて悲しんでいる人は、幸せな人ですといいます。僕たちの常識で考えると、「嘆いて悲しんでいる人は不幸」ではないでしょうか。

 イエスは、それを反転させていいます。「嘆き悲しんでいる人は幸い」といいます。

 どうしてそういうのでしょうか。後半には理由が続きます。それは「嘆き悲しんでいる人」は「慰められるから」です。

 だれから慰められるかということは、書いてはいませんが、おそらくイエスは、「神が慰めてくださるということ」と「仲間が慰めてくれる」ということを意識していたのではないかと思います。

 エホバは公正な方ですから、悪い状態をいつまでも続くままにはされません。ですから、もし今嘆き悲しんでいるとしたら、必ず慰められるということを確信することができます。

 今辛い状態にあるとしたら、あなたは幸せです。なぜなら、エホバや仲間が必ず顧みてくれるということを確信することができるからです。

 がっかりしているとしたら、あなたは幸せです。なぜなら、エホバや仲間が必ず励ましてくれるということを確信することができるからです。

 エホバが必ず平衡を回復させてくださるという希望があれば、このまま悪い状態が続くんじゃないだろうかという不安を軽減することができますね。

前へ 目次 次へ