2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

光の中を歩むとは

聖書には光の子として歩んでいきなさいと書かれています。光とは、明るいとか、見えるとか、明らかにするとか、そういうことの比ゆでもあります。 いとうべき事柄を習わしにする者は,光を憎んで,光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです。…

寄付で生活している人が、無償で働く人を支配するという関係はおかしい

ブログやコメントを僕はいろいろと見ていますけれど、その中で、べテルで働く職員が、テンポラリーボランティアで働く人を、食事のマナーの点で厳しく叱責したという書き込みを見ました。 これは、エホバの証人社会で見られる、残念な状況を物語っていると思…

裁きの公平性について

嘘や間違ったことを前提にして、長老たちが7人で、ある姉妹を裁いて、無理やり悔い改めさせて、その姉妹が自殺してしまったということを、コメント欄でいただきました。非常に悲しい事件です。 他のブログなどでの情報も考えて、日本中の会衆でも、長老の一…

清いものにとっては、すべてのものが清い

僕たちは、いつでも多くのことを心の中で裁いています。あの人はどんな振る舞いをしているか、あの人はどんな服装をしているか、ひげがはえているか、あの人はどんな生活をしているか。あの人は、どんな特権を持っているか。これは、ものみの塔協会が、僕た…

自分がしてほしいと思うことを、人にもしなさい

この聖句については、よく知られていると思います。 それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。 (マタイ 7:12) でもうまく実践されないのはどうしてなんでしょうか。たとえば、嘘の証言によって、罪をかぶさられ…

「クリスチャンのための夫婦の学校」でウェイターとウェイトレスを募集している件について

どうも最近「クリスチャンのための夫婦の学校」でウェイターとウェイトレスを募集しているということを知りました。僕は、このブログで、特権を持つ人たちと、食事を優遇することとの関係を書いてきましたが、この学校でもそれは、行われているようです。 し…

巡回監督の仕事は、寄付の会計、集会出席率、奉仕報告書のチェック

巡回監督には、やはり表の顔と裏の顔があります。表の顔は会衆を励ますというものです。裏の顔は、組織の中間管理職としての数字のチェックです。巡回監督というのは、本来必要はないですが、会衆を中央から管理するために、派遣されています。 巡回監督の仕…

次は巡回監督のリストラが始まるのかもしれない

人員削減は、立場の低い順に行われていきます。べテルの一般職員の解雇はすでに行われ始めていますけれど、次に待っているのは巡回監督の削減かもしれません。巡回監督にアドバイスしておきますが、ものみの塔協会の肩を持つのではなくって、会衆の肩を持っ…

巡回監督は、会衆にはよい顔を見せるが、長老と奉仕の僕をあごでつかう

巡回監督というのは、実は、超権威主義的な人たちであって、会衆に見せるにこにこ顔の表向きのものと、長老と奉仕の僕に見せる支配的な顔の両方の面を持つ人たちです。 あのにこにこ顔は、べテルやいろいろなところで訓練されます。つまり営業スマイルです。…

ダニエルがみた巨像 vs 神の王国

さてダニエルが見た巨像というのは、ものみの塔では、聖書予言の成就と関連して解説されるのですけれど、ダニエルが見た巨像と神の王国の比ゆ的なイメージの対比として語られることはほとんどないように思います。 聖書ではイメージや比ゆがたくさんもちいら…

電子機器の購入をけん制しながら、自らは超高級機材を購入するものみの塔協会

ものみの塔協会は、長い間電子機器の購入に対して、強くけん制してきました。大会で、電子機器を買うか買わないかを迷って、神に祈った結果買わない選択をした兄弟が誉められるという実演をほとんどの兄弟・姉妹は見たことがあると思います。 でもここにもや…

みなし断絶制度の廃止

会衆の兄弟・姉妹のみなさん、ものみの塔協会が行うみなし断絶という制度をご存知ですか。みなし断絶というのは、その人を断絶したものとみなして、排斥された状態と同じ状態におく制度のことです。つまり、一方的に、その人を断絶したとみなして、エホバの…

エホバの休みの日とは何か

現在のものみの塔協会の教理においては、休みの日とは啓示の書に書かれた1000年間のことだとされています。けれども、これは間違いだと思います。単にエホバの休みの日とは、単に神が休憩できる日のことだと思います。 つまりエホバの休みの日というのは、憤…

統治体とものみの塔協会の実状を広める

統治体とものみの塔協会の実状を会衆を広めるための方法は、現在は匿名という方法しかないと思います。なぜなら、そういうことを話せば、無視されたり、場合によっては排斥されたりする可能性があるからです。 背教者と認定して、排斥できる制度があるうちは…

地域大会の演壇で児童性的虐待裁判について話してくれる兄弟はいませんか

地域大会が始まったようですね。そこで、もし仮に、ものみの塔協会の実態を知ってしまって、長老や巡回監督の立場を降りようかなぁと考えている人がおられましたら、地域大会の講演で、児童性的虐待裁判について話してみませんか。 おおっぴらにいれなくても…

ものみの塔研究考察 挿絵による服装の誘導について

ものみの塔研究には、挿絵が毎回掲載されています。でもこの挿絵というのは、奇妙な絵や、不自然な状況を描写していることが多いという風に感じている兄弟・姉妹も多いのではないかと思います。今回は2013年5月号研究用ものみの塔「りっぱな業に熱心ですか」…

巡回監督はお金をもらって働いているので特に誉れには値しない

巡回監督は、会衆から多くの誉れを受けるべきとする、ものみの塔協会の方針があります。それは、次の聖句が都合のよいように解釈されているからです。 りっぱに主宰の任を果たす年長者たち,とりわけ,話すことや教えることに骨折っている人たちを,二倍の誉…

巡回監督は統治体に服従する誓約をたてている

エホバの証人研究さんの記事で知りましたが、実は巡回監督は、統治体に完全服従するような誓約を立てています。 ものみの塔協会の特別全時間奉仕者(ベテル奉仕者、巡回監督とその妻、特別開拓者など)は清貧の誓いに署名するように求められます。これはカト…

みんなから高められる巡回監督

巡回訪問のひとつの目的は、巡回監督を高めることです。これは、ものみの塔協会が意図していることです。多くの兄弟・姉妹たちは、巡回監督が神の経路で、巡回監督をもてなすことが、エホバへの崇拝だと勘違いしています。 でもそうではなくって、神が求めて…

巡回監督について

しばらくは、巡回監督のことについて書こうと思います。統治体と長老については取り上げられれることは多いですね。統治体はトップにいるし、長老は、目の前にいる加害者として現れやすいので、批判の的になりやすいですね。 でも長老は加害者でもありますが…

海老名ベテルに個人の服装を決める権限はない

多くの長老たち、またエホバの証人の兄弟・姉妹は、服装に関する基準を、日本支部が決めて、それを会衆に反映させるようなイメージを持っていると思います。規則ではないといいながら、ベテルが定めた服装の基準を守らなければ、特権を与えないという制裁を…

ひげを生やしている人を容認する会衆にする

長老や巡回監督にはずるいところがあって、はっきりとはいいませんが、ひげを生やしている人に対しては、うまい言葉で、ひげをはやさせなくしようとしていきます。それとなく、ひげを生やすことに、心理的な抵抗を覚えさせていって、ひげをそらせようとしま…

ものみの塔研究考察「宣教のためのテクニックについて」

2013年5月号の研究用ものみの塔「福音宣明者としての役割を果たす」という記事では、主に宣教でのテクニックについて扱われた回でした。 今回は、ものみの塔協会が、宣教におけるテクニックをどのように扱っているかということについて考察してみます。 営業…

キリストが分裂している

統治体は大いなるバビロンと呼んで、カトリックとプロテスタントを邪悪な人たちにしているし、反対にカトリックとプロテスタントは、三位一体を認めない教会を、異端と呼んで、のけ者扱いしている。 それぞれの教会が、自分の権益のための、独自の教義を打ち…

エホバの証人 長老迷言集

長老や巡回監督、日本支部の兄弟には自分の語る言葉に気をつけてほしいと思います。ブログをみていると数々の迷言が生まれているようです。そこでこのページに、コメント欄で長老の迷言を見つけたら、追加していって、よく考えてもらうためのきっかけにして…

真理を探している途上であるということ

「どこに真理があるのか。」そういう疑問を持っておられる方も少なからずいるかもしれません。でもね、もうすでにたどり着いていると思い込んだとしたら、それは思考を停止する道なのかもしれませんよ。 永遠の命へと歩みを進めるその道の途上にいると考えた…

聖書は公正がテーマのひとつになっている

公正ということについて、エホバの証人の兄弟・姉妹は、まだ真剣に考えたことがないんじゃないかなぁというのが、今僕が感じていることです。公正が機能していなければ、その場所はとても過ごしにくい場所になります。一部の人にとってはすごしやすいかもし…

人に優しく、自分にも優しく

会衆の雰囲気がよくなるためには、心柔らか会衆になればいいなと思います。人を頭から否定しないこと。多様な価値観を受け入れること。組織というフィルターを通して人をみずに、愛の気持ちで接すること。 疑問や意見を持つ人を退けないこと。統治体の言葉や…

組織と一緒に神を捨ててしまう必要はない

組織が神であった人にとっては、組織に対する不信が高まってくると、神も一緒に捨ててしまうという傾向があるような気がしています。僕が、実感していることは、いくら宣教奉仕や、集会に行っていても、心の中には、エホバやイエスの存在が希薄だということ…