人に優しく、自分にも優しく

 会衆の雰囲気がよくなるためには、心柔らか会衆になればいいなと思います。人を頭から否定しないこと。多様な価値観を受け入れること。組織というフィルターを通して人をみずに、愛の気持ちで接すること。

 疑問や意見を持つ人を退けないこと。統治体の言葉や巡回監督の言葉をうのみにするのではなくて、聖書にどんな神の言葉が書かれているかを調べてみること。

 特定の人を無視しないこと。何が不満なのかを、話せるような雰囲気ができること。頭から押さえつけないこと。背教者あつかいしないこと、立場で評価しないこと。ある仕事を与えられたときに、えらぶったり、他人と比較しないこと。

 ゆったりとした会衆にするために、心がけられることは、たくさんあると思います。やっぱり今の会衆には、内面的なものが欠けているのだと思います。

 僕は、今日は「人に優しく、自分にも優しく」というのを提案してみたいと思います。「自分に厳しく、人に優しい」でいいんじゃないのと思うかもしれないですけれど、やっぱり自分に厳しいということは、ねたみの気持ちが生まれることが多くって、内面にストレスを抱えることが多いです。

 「どうして自分がこれだけやっているのに、あなたはできないの」という感じですね。自分ができていることや、自分の基準で、人の心や行動を裁いてしまう傾向が、どうしても強くなると思います。

 できている自分は立派、できていない他人は立派ではない。できている自分は将来増し加えられた特権を手に入れることができそう、あの兄弟は能力がなくてだめそう。そんな裁きの気持ちが心の中で生まれているとしたら、要注意ですよ。

 自分が重荷を負うということは、将来その重荷をだれかに負担させるということです。自分だけに厳しくして、自分だけが背負えばよいという問題でもありません。次に来る人のために、重荷をできるだけ軽くしたほうがよいと思います。

 心柔らか会衆になるためには、内面を重くしているものを、捨てちゃう必要があると思います。えいっと捨ててしまいます。自分が重く感じていたら、それを誰かに背負わせることになると考えてください。だから、自分が辛いと思う時間が長くなってきたら、きちんと断ってください。

 将来の特権なんて、どうでもいいではないですか。それを得られないことに恐怖を覚えて、生活することは、信仰面においてかなりマイナスになります。小さな特権ではなくて、イエスへの信仰をとおして獲得する命を得るということに向うのがよいと考えます。

 特権というのは「イエスとともに苦しむ」という特権だけでよいのではないでしょうか。この特権のために、あらゆる特権はくずのようなものとなっています。

 自分に優しく、人に優しくというのがよいと思います。週に一度でよいので、完全にオフにして休める日をつくりませんか。もし、月に一度も、完全にオフにできる日がないとしたらそれはもう異常ですよ。「365日24時間働け」の状態になっていませんか。