2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧
イエス・キリストの死の記念式についての読み物です。パンとぶどう酒の意味について、起源などを踏まえて書いています。イエスが死なれたことの意味をよく理解できるようになると記念式が感慨深いものになります。 無酵母パンとぶどう酒の起源 第1回「キリス…
さて「パンとぶどう酒」という主題で書いてきましたが、今回で最後です。僕の思いは、記念式をいっそう興味深く、楽しんでいただけたらと思います。いろんな意味で楽しみたいですね。 今年はだれがパンを食べて、ぶどう酒を飲むのかななんて考えるとわくわく…
さて記念式ではだれがパンを食べ、ブドウ酒を飲むことになっているのでしょうか。それは自分が、新しい契約の当事者だと認識している人です。 パンを食べ、ブドウ酒を飲むのは新しい契約の当事者 イエスを仲介者として、イエスの弟子たちとエホバ神は、永遠…
パンとブドウ酒のお話しももう少しでおしまいです。パンとブドウ酒の起源について書いた後、イエスが弟子たちと共にした最後の食事の場面を概観してきました。最後は、現在の記念式のお話です。 イエス・キリストの死の記念式とは何をするためのものなんでし…
エホバの言葉というのは、とってもオープン。なんでというなら、聖書に書いてあるからだ。すべての人が接することができるし、良いことも悪いことも全部書いてある。聖書の言葉は、明示的で、だれに対しても開かれている。 僕が認識している問題の発端のひと…
日本のエホバの証人を腐敗に追いやりかねない考え方。ある点においてできないことがある兄弟を見下す考え方。能力のある兄弟は誉めて、そうではない兄弟には厳しくする方法。 学歴主義というのは、遠くはない昔に日本人全体が陥ってしまった罠でした。受験勉…
人によって態度を変えるというのは、よくないと聖書に書かれている。集まりの席で、お金持ちの人にはよい席を与えて、そうではない人には悪い席を与えた人の話がでてくる。 自分によいものを与えてくれる人を優遇して、そうではない人に邪険にあたっちゃいけ…
動機は愛でも、規則をたくさんもうけて律法主義に転じてしまったら、できあがったものは、聖書とは何の関係もないものになってしまう。仲間をサタンから守りたいということが動機であっても、ひとつひとつのことに対して、規則を設けてしまうと、それを集約…
食事を賛美を歌って終えた後、イエスは弟子たちと共にオリーブ山にいかれました。そして、その後オリーブ山の近くにあるであろうゲッセマネというところにいきます。 このゲッセマネという場所で、裏切ったユダ・イスカリオテにイエスは見つかります。祭司長…
イエスは食事の中で、12人のうちの一人が裏切ることや、弟子のみんながつまづいてしまうこと、ペテロがイエスを否認することなどを、過ぎ越しの食事の席で話します。これは後に、実際にそのことが起こったときに、イエスが神の子であることを信じるためでも…
さてここから過ぎ越しの食事が始まります。イエスと弟子たちは食事を食べています。イエスは食事の最中に、自分でパンを取って、祝とうをのべて、パンを裂いて、弟子たちに与えこういいます。 「取って,食べなさい。これはわたしの体を表わしています」。 (…
ほのぼのしていますか。怒りに満ちた心で何かをやってもうまくいかないと思う。怒りはエホバのものだからね。過度に批判的な気持ちを持ったり、怒りにまかせて言い負かしたりしても、結果はよくないと思う。 聴き従うか、反抗するかのふたつの道しかないと思…
過ぎ越しの祭りの前の晩の食事のときに、イエスは弟子たちの足を洗います。福音書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人が書いていますが、これはヨハネによる書に記された記述です。 晩さん[の席]から立ち,自分の外衣をわきに置かれた。そして,ふき布…
レオナルド・ダヴィンチ作の絵画に最後の晩餐というものがあります。これはとても有名な絵で、世界的にも有名ですし、ダヴィンチの作としても有名ですね。 弟子たちが食卓に座ってイエスを囲んでいる絵ですね。1世紀当時は寝椅子に寝転がって食事をとってい…
会衆の中で不和が持ち上がったときに、無視させる解決策というのは、僕はとてもよくないと思っています。 たとえばある姉妹が、ある兄弟と不和を抱えて長老に「もうあの兄弟とは、もう一緒に奉仕とか、一緒の作業をしたくないです」と相談にきた場合とか。 …
仏教のひとつの教えでは、ただ南無阿弥陀仏と唱えれば、悪いことをした人でさえも極楽浄土に行くことができます。多くの人にとってとても心持ちの良い考え方だと思います。 罪を犯しても、罪を犯さなくても万人が救われるという考え方は人気があります。でも…
お金を追い求めること、これは有害な事柄の根になります。 金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出,多くの苦痛で自分の全身を刺したのです。 (新世界訳聖書 テモテへの第一の手紙6章10節) こ…
民族感情というのうは根深いもので、エホバの証人の間でも、それが存在するようですね。理想はないのがよいんだけれど、頭ではわかっているのだけど、感情がついてこないという面があるのかもしれないですね。 たとえば、黒人差別はエホバの証人の間ではない…