パンとぶどう酒 第10回「過ぎ越しの食事」
さてここから過ぎ越しの食事が始まります。イエスと弟子たちは食事を食べています。イエスは食事の最中に、自分でパンを取って、祝とうをのべて、パンを裂いて、弟子たちに与えこういいます。
「取って,食べなさい。これはわたしの体を表わしています」。
(新世界訳聖書 マタイによる書26章26節)
パンはイエスの体を表しています。そして弟子たちにそれを食べなさいといっています。イエスは天から下ってきたパンです。このパンを食べる人は永遠に生きます。イエスの体は、世の人のための、命のパンです。
モーセは荒野で天から与えられたパンを食べました。これはご自分の民であるイスラエル人が荒野で死なないためのものでした。イエスの体は真の食物であり、もっと優れたものです。これを食べるなら永遠に生きます。
次にイエスは、杯をとって、感謝を述べてこういいます。
「あなた方はみな,それから飲みなさい。これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです。
(新世界訳聖書 マタイによる書26章27-28節)
ブドウ酒は、イエスの血を表しています。これは「契約の血」であって、多くの人のために注ぎだされることになっています。それを飲みなさいとイエスはいいます。
多くの人のためにイエスはご自分の血を注ぎだされました。血は振り掛けられることによって、民を罪から清めます。このイエスの血によって僕たちは義と宣せられることになります。またイエスはご自分の血を携えて、天に入られました。
この傷のないイエスの血は動物の犠牲の血よりもはるかに勝ったもので、罪の許しを得るためのものです。イエスの血は真の食物であり、これを飲むなら永遠に生きます。
古い契約はモーセを仲介者として、イスラエル人との間に結ばれたものですが、新しい契約はイエスを仲介者として、イスラエル人だけではない、さらに多くの人の罪の許しのためになされた契約になっています。新しい契約は永遠の命のための契約なのですね。