2013-01-01から1年間の記事一覧

落ちこぼれとみなすことはやめてほしい

学校でも、職業でも、お給料でも、会衆の特権でも、そうだけれど、だれかとだれかを比較して、一方を落ちこぼれとみなすということがある。会衆の中には世はないのだと信じ込みたいかもしれないけれど、会衆の中には、世の差別よりもひどい差別があることも…

組織のためにいけにえを供えつづける

イエス・キリストは、一度きりの犠牲を捧げました。人間の罪のためにです。罪のない人が、罪のある人間のために、一度限りの犠牲を捧げました。あなたがたは、わたしの肉を食べ、わたしの血を飲みなさいといいました。それは、いつまでも、このことを記憶に…

背教認定の手順を推測します

背教認定については、日本支部主導のものがあるということが、最近の情報ではわかってきています。手順についても、共通した方法のようなものがあるようで、同じ方法で立場の削除や排斥をやられたという声が聞かれています。 まったく同じようなことが、複数…

奴隷なのか、子なのか

奴隷として仕えなさいと書かれている場合もあれば、あなたがたは神の子ですと書かれているところもあります。キリストは天で生活していたのに、地におりて死に至るまで奴隷のように仕えました。バプテスマのときには、あなたはわたしの子、あなたを是認した…

年末・年始の巡回訪問はやめてあげてください

年末も迫ってきましたが、年末・年始は、いかがお過ごしでしょうか。実家にでも帰ってのんびりするという人も多いことを願います。 ものみの塔協会の悪い習慣として、巡回監督は、巡回訪問のスケジュールを、年末でも年始でも、おかまいなくいれるというのが…

救いは今なのか未来なのかという対立はあまり意味がないと思える

エホバの証人とカトリック教会の間で、対立になりやすいのは、救いは今なのか、未来なのかということです。エホバの証人は、救いは未来なんだといいますし、カトリックの方は、もうすでに救われているんだといいます。 でも僕は、そもそもこのことを対立で語…

ものみの塔協会に望む方針をまとめる

とりあえず希望を書いておこう。 運営の透明性を高める ものみの塔協会の運営の透明性を高めてください。寄付がどのような用途に利用されているか、ものみの塔協会の各部門の構成人数や、責任者など、外部からどのようなことを行っているのかを見えるように…

パウロはクリスチャンの中のひとり

聖書の中でパウロが書いた手紙は多いですけれど、パウロは、クリスチャンの中のひとりです。現在聖典として受け入れられている66冊が決められた基準は、内容の調和と使徒性であったと思われます。 パウロ以後も聖なる書物というものは書かれていましたが、後…

公正な裁きについて考える

エホバの証人の会衆では、審理委員会や上訴委員会において公正な判断が行われていないという問題が、露呈してきています。突然、立場を削除されたり、排斥になったりしているという事件が、さまざまな場所で起きているようです。 もっと多くの兄弟・姉妹が「…

わたしはそう望みます

らい病の人がイエスのところにきて「あなたは,ただそうお望みになるだけで,私を清くすることがおできになります」といいます。イエスは返事をして「わたしはそう望みます。清くなりなさい」といいます。 また,ひとりのらい病人が彼のもとに来て,ひざまで…

「エホバの証人ではなくなった人を避けますか」の正確な回答

エホバの証人の公式サイトには「エホバの証人ではなくなった人を避けますか」という質問への回答が掲載されていますが、読む人に対して、多くの誤解を与える表現になっていると思います。 ですから、少し補足して、エホバの証人の現状を加味した回答にしたい…

イエスは神殿の中に入り、売り買いしていたものたちを追い出し、両替屋の台を倒された

当時のエルサレムでは、神殿はもはや崇拝のための場所ではなくって、宗教を使って、商売する場所になっていたようです。 それからイエスは神殿の中に入り,神殿で売り買いしていた者たちをみな追い出し,両替屋の台と,はとを売っていた者たちの腰掛けを倒さ…

長老の任命基準がおかしいと思う

僕は、長老の任命に関して、言いたいことがある。それは、長老の質が悪くなるのは、組織の長老の任命の基準が悪いからだ。組織は、問題が起こったときに、自分の責任を逃れて、長老や奉仕の僕のせいにしがちだけれど、ちょっと待ちなさいよといいたくなる。 …

神に固くつきますか、それとも宗教組織に固くつきますか

たくさんの難しい文章に触れてしまうと、簡単なことを忘れてしまったり、見失ってしまったりすることが多いと感じています。聖書の一部分の説明にこだわりすぎるあまり、全体を見失わされているということも多いと思います。 それで、エホバ神と宗教組織は別…

みんなと同じでなくても大丈夫

エホバの証人の兄弟・姉妹の多くは、自分の子供に対しては、学校でひとりぼっちになっても、忍耐するようにと教えるのに、会衆の中では、自分がひとりぼっちになることを過度に恐れて、同調圧力に協力的だと思います。 自分が会衆で異なる振る舞いをしたら、…

独立した良心という考え方

人の思考は、よくも悪くも、自分が信じたいことを、耳に聞いたなら、それに流されていく傾向があります。また、たくさんの人が信じているとうわさされたことを、聞いたなら、それに流されていく傾向があります。 僕の考えでは、これは孤立する危険に対しての…

偽善に気をつけなさい

偽善というのは、思った以上に見分けにくいものです。偽善というのは、実は悪い目的が存在するのに、実際にそれをよいものと見せることを言います。偽善の特徴として、表面的には、善を語っているようにみえるのですが、その目的といえば、違うところにある…

種まき人はみ言葉を撒きます

種まき人は、み言葉を撒きます。 種まき人はみ言葉をまきます。 (マルコ 4:14) み言葉という神の言葉のことです。神の言葉というのは、植物の種のようなものです。いくら種をまいたからといって、強制的に大きくさせることはできません。植物は、時間をかけ…

人のことを影で悪くいうこと

僕には、本音と建前という文化がよくわからない。その、なんというか、僕の前で、にこにこしている人たちは、影で悪口を言ったりしているということだ。本人の口からは、聞こえてこないけれど、うわさをしていれば、どこかからはもれてくる。 うわさ話の動機…

神に祈りを聞いてもらった実感があれば、人の話にもきちんと耳を傾けてほしい

人と神との関係については、聖書のたくさんの箇所で語られています。たとえば、神に許してもらったのであれば、あなたも人を許しなさいですとか、神の愛を知ったなら、あなたも同じように人を愛しなさいですとかです。 与えられて神に感謝しているのであれば…

無私の愛ということについて考えてみる

無私の愛というテーマは、ドラマなどでは、感動的な表現として描かれることがあります。自分の命を犠牲にして、人のために働いたという内容の映画から、感動を受けたということも多いかと思います。 理想化された世界では、僕たちはイメージによって、それを…

わたしと結びついていないなら実を結ぶことはできません

イエス・キリストは真のぶどうの木、父は耕作者です。父は、耕作をする人にたとえられています。イエスは、父に育てられたぶどうの木です。 イエス・キリストと結びついてよい実を生み出す枝には、父はさらによい実を生み出すようにされます。反対にしっかり…

キリストがあなたを照らすであろう

光という表現がたくさん使われるのが、イエス以後の書物の特徴です。光は照らすとか、明るいとか、よく見えるとか、希望であるとか、そういうことを表現する比ゆになっています。 反対に闇というのは、暗闇、見えないこと、隠すこと、悪など、そういうことを…

食べ、飲み、働くことによって自分によいものを味あわせること、これが神の賜物である

伝道の書を読みました。ソロモン王は、いろいろなことを追い求めましたが、すべてはむなしいもののようでありました。あらゆるものを得ましたがそれもまたむなしいものでありました。 そして、ソロモン王は気づきます。何がよいことなのかと。それは、食べ、…

制度が疲弊しているということを認識してほしい

ものみの塔協会は、たくさんのうらみを買っています。その多くの原因は、組織主義で、個人を尊重しないという点からきているように思います。 長老たちは、口癖のようにいいます「エホバの方法でものごとを行うように」と。でもここで、「エホバの方法」と呼…

信教の自由と私的自治の原則。人権侵害とレリジャスハラスメント

信教の自由という言葉を知っていますか。これは憲法定められた国民の権利であって、国家権力によって、個人が何を信じるかを侵害されないという自由を保障する規定のことです。戦時中などをみればわかりますが、国家権力は、国民に対して信教の自由を制限す…

人間を汚物としてあつかう思考回路は侮蔑的

日本のエホバの証人の会衆では、恒常的に、人間を汚物や病原菌のように扱う長老、巡回監督、日本支部の姿が見られています。長老は、自分たちにとって邪魔な人たちを、汚物のようにみなすことで、みせしめを行うことがあります。 これは長老たちが不完全だか…

パワーハラスメントと人権侵害問題を考える

エホバの証人の社会の中で大きな問題となっているふたつの問題は、長老、巡回監督、日本支部による会衆の成員へのパワーハラスメントと、排斥による忌避という人権侵害問題です。 パワハラと人権侵害されて泣き寝入りしている仲間は、常にいるわけですから、…

民事訴訟は本人訴訟ができる

日本の裁判制度では、民事訴訟においては、本人訴訟が可能です。本人訴訟というのは、弁護士に依頼せずに、本人が行う訴訟のことです。日本の多くの民事裁判は、本人訴訟によって行われています。 刑事裁判というのは、刑法に違反した場合に検察によって、起…

裁判は原則公開

裁判は原則公開です。民事訴訟においても、刑事訴訟においても、原則公開で、だれでも傍聴人として、裁判を見ることができます。判決は、必ず公開されます。