食べ、飲み、働くことによって自分によいものを味あわせること、これが神の賜物である

 伝道の書を読みました。ソロモン王は、いろいろなことを追い求めましたが、すべてはむなしいもののようでありました。あらゆるものを得ましたがそれもまたむなしいものでありました。

 そして、ソロモン王は気づきます。何がよいことなのかと。それは、食べ、飲み、働くことによってよいことを自分が味わうことでした。ストイックなのではなく、自分が神から与えられたものによって、楽しむこと、これが神の賜物であると気づきました。

また、[まことの]神は富と物質の所有物とを与えたすべての人に、それから食べ、自分の分を持ち去り、自分の骨折りを喜ぶことを可能にされた。これが神の賜物なのである。
(伝道の書 5:19)

 この観点から見ても、宣教奉仕を偏向的に行うことが喜びなのではないと思います。神が与えてくれたもので、食べ、飲み、遊び、笑い、働き、それを喜ぶこと、これが神の賜物なのだと思います。

 神に感謝していただくのであれば、それ自体として悪いものは、ひとつもありません。造られたものすべては、神の創造物だからです。

 多くの偏向が世には存在しますけれど、この偏向から逃れて、素直な気持ちで、神の賜物に感謝できれば、心が気持ちいいんじゃないでしょうか。

 我欲というのは過度に否定されがちですが、素直に肯定するのがよいと僕は思います。問題になるのは、人の権利とぶつかったときですね。他人の自由を侵害するとか、環境を汚すとか、人に迷惑をかけるとか、資源を浪費しすぎですとか。

 我欲自体は、神からのものなので、素直に肯定してしまって、その上で、他の人に配慮を払えばいいのじゃないかと僕は思います。