愛は結合の絆

聖書では、結合について語られることがよくありますね。クリスチャンは、キリストの妻という表現もありますし、パウロは、夫婦間の結合のたとえを、キリストとキリストを信じる者たちの間に適用します。 しかし,これらすべてに加えて,愛を[身に着けなさい]…

互いに愛し合うことのほかは,だれにも何も負ってはなりません。

聖書には、愛しあうことについて書かれています。でも、それだと、普通の人の普通の価値感の愛と何も変わらないんじゃないかと思うんです。聖書のインパクトは、愛し合うことにあることなのではなくって「愛だけ」というところにあると思っています。 世の中…

無私の愛ということについて考えてみる

無私の愛というテーマは、ドラマなどでは、感動的な表現として描かれることがあります。自分の命を犠牲にして、人のために働いたという内容の映画から、感動を受けたということも多いかと思います。 理想化された世界では、僕たちはイメージによって、それを…

人を自分自身のように愛するということ

イエスはいわれました。あなたは人を、自分自身のように愛しなさいと。 『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』 (マルコ 12:31) ここがイエスの素晴らしい教えの部分だと僕は思う。自分を犠牲にして、人を愛しなさいとはイエスは教えなかった。…

愛は真実なことと共に喜びます

パウロは、愛がなければ、そのほかのことがあっても何の意味もないと考えていました。その他全てのことがそろっていたとしても、愛がなければ、何の意味もないのです。 愛がしっかりと土台になっていないと、その他のことすべては、無意味なものになってしま…

「愛がある」ということと「実際に愛を示すこと」

「○○は愛のあることです」というのは誰だっていえます。でも、そういったって、それは愛のあることにはならないです。「主よ、主よ、というものが神の王国に入るわけではなく、神のご意志を行う人が神の王国に入るのです」。それで、ただ言うだけではなくて…

愛は律法を完全なものにする

キリストのくびきは軽い。軽い理由は新しいおきてにあります。新しいおきてというのは愛の律法のことで「互いに愛し合いなさい」ということです。 愛の律法は、書かれた律法を完全なものにします。たとえば「殺人をしてはならない」という律法は、愛の律法の…

愛していると言うことと、実際に愛すること

心配している、愛しているというのは、簡単です。人は、愛の名によっていろいろなことを正当化してきました。 たとえば、国を愛しているという理由で、他の国と戦争を行ってきました。神を愛しているという理由でも、宗教戦争を行ってきました。 愛している…

互いに愛し合うことのほかはだれにも何も負ってはなりません

イエスは、地上にこられたとき、律法の中で最大のものはなんですかと聞かれたとき、それは「神への愛」と「隣人への愛」だといわれました。 さらにイエスは弟子たちに新しいおきてを与えます。それは「わたしがあなた方を愛したように、あなたがたも互いに愛…