愛は律法を完全なものにする

 キリストのくびきは軽い。軽い理由は新しいおきてにあります。新しいおきてというのは愛の律法のことで「互いに愛し合いなさい」ということです。

 愛の律法は、書かれた律法を完全なものにします。たとえば「殺人をしてはならない」という律法は、愛の律法の中に含まれます。なぜなら「愛しているなら殺人を行わない」からです。愛している人を痛めつけたりしたいと思わないのです。

 また「盗んではならない」という律法も、愛の律法の中に含まれます。なぜなら「愛しているなら盗みを行わない」からです。愛している人のものを盗んで困らせたいとは思いません。

 また「姦淫を崇拝していはならない」という律法も、愛の律法の中に含まれます。なぜなら「妻を本当に愛しているなら、他の女性を愛したりはできない」からです。ひとりの女性を愛しているなら、他の女性を愛して、ねたみを起こさせたいとは思いません。

そしてほかにどんなおきてがあるにしても,その[法典]は,この言葉,すなわち,「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」に要約されるからです。愛は自分の隣人に対して悪を行ないません。ですから,愛は律法を全うするものなのです。
(新世界訳聖書 ローマ人への手紙13章9-10節)

 もし会衆の中にたくさんの規則のようなものがあって、それをいつも気にしなければならないとしたら、これは愛の律法とはまったく正反対のものになります。ぜひ長老を目指している皆さんは、愛の律法によって歩んでいってほしいと思います。

 イエスが求めておられることは、たくさんの規則によって身を重くするのではなくて、多くのものを捨てて身を軽くし、愛の律法を背負って、軽いくびきをイエスと共にすることです。文化的な偏見や人間の伝統にとらわれるのではなく、いつでも愛によって歩んでゆくことです。

 文化的な偏見や人間の伝統が、理由もなく他の人たちの心を打ちつけるものであったら、愛のゆえにそれらを捨てましょう。信仰や勇気や覚悟や忍耐がいることでしょう。けれども神と隣人への愛ゆえであれば、神はそれを是認されるでしょう。