組織という言葉がひとり歩きするのは危険だと思う

 組織という言葉がひとり歩きするのは危険だと思う。ただ漠然と使われることが多いと思いますし、定型句のように使っていることも多いかと思います。意味を考えずに、なんとなく使っている、そんな場面が多々あるのではないかと思います。

神の目的を理解する

 神の目的は、イエス・キリストの贖いを通して、新しい地で永遠の命を得させることでした。永遠の命に至る道は一本しかありません。それはイエス・キリストです。この最も大切で、聖書で何回も何回も繰り返されているテーマをいつも思い浮かべてほしいと思います。

 イエスだけが神へと通じる道なので、伝道者の役目は、聖書の理解を通して、エスに導くことです。イエスの追随者になるという道だけが、永遠の命に至る道です。それ以外の道は滅びに至る道です。

 ですから長老の追随者にならせてもいけませんし、統治体の追随者にならせてもいけません。イエスの追随者に導くように指導することが、監督に与えられた役割です。このイエス・キリストの土台の上に建てられないと、信仰はもろく崩れてしまいます。

 不確かな人間を土台とするのではなく、岩塊であるイエス・キリストを土台とすること、これが大切なことです。

 また長老は、教師のように仰ぎ見られてはなりませんし、統治体も教師のように仰ぎ見られてはなりません。教師と呼ばれてもよいのは、イエス・キリストただ一人です。兄弟・姉妹の間で支配関係を構築してはいけません。

 イエス以外の者が「経路」と呼ばれていたり、イエス以外の者に「導く」という言葉が使われる場合は、十分に注意しないと、転げ落ちる道に入っていくことになります。

組織は個々のクリスチャンで構成されていることを忘れない

 組織というのは人の集まりです。人の集まりを抜きにした組織というのはありません。けれども組織という言葉が使われるときはいつでも、構成している人々のことを忘れてしまっていることが多いのではないでしょうか。

 僕たちひとりひとりがエホバの証人であって、ひとりひとりのエホバの証人が、お互いを励ましあうために集会に集います。ひとりひとりがエホバの崇拝者であって、ひとりひとりがそれぞれ信仰を持っています。

 ですからクリスチャンが組織に属するというよりはむしろ、個々のクリスチャンが組織を構成しているといったほうが正確です。個々のクリスチャンが聖書を学んで、聖霊に導かれて、集まりあうグループでき、相互援助するための仕組みがあるということです。

 ですから、個人を離れたところに、組織があるようにみなして、組織について語るのはもうやめにしませんか。組織の指示に従うという言葉は、何を言っているのかが不明ですし、組織に従順であるという言葉も何を言っているか不明です。

 個々のクリスチャンの相互援助なくして、組織が成り立たないということを考えれば、これらの言葉は非常に不自然です。ですから、組織という言葉を闇雲に使うのをそろそろやめにしませんか。

 「組織に協力する」といわなくても、「互いに協力する」といえばすむことですし、「組織はよいわね」といわなくても「エホバの証人っていいなぁ」といえばすみますし、組織という言葉を口癖のように使うのをそろそろやめにしませんか。