互いに愛し合うことのほかはだれにも何も負ってはなりません

 イエスは、地上にこられたとき、律法の中で最大のものはなんですかと聞かれたとき、それは「神への愛」と「隣人への愛」だといわれました。

 さらにイエスは弟子たちに新しいおきてを与えます。それは「わたしがあなた方を愛したように、あなたがたも互いに愛する」というおきてです。

 兄弟・姉妹に対して、何か重荷を背負わせたり、また反対に自分が重荷を負っているということはありませんか。

 イエスが僕たちに愛を示して与えてくださった「さわやかなくびき」以上のものを兄弟・姉妹に対して要求してはいないでしょうか。

 「さわやかなくびき」というのは、簡単にいうと「神の義の基準」にとどまるということです。神の義は、受け入れてしまえば、心地よく、さわやかで、心を暖かくします。僕たちはバプテスマを受けたときに、その基準については理解しているはずです。

 でも自分の厳しい良心のために、さらに多くのものを兄弟・姉妹に対して乗せようとしているということはないでしょうか。立場のある人に良く思われたいという動機から行動してしまってはいませんか。名誉や体裁を気にしているときは特に注意をしましょう。

 僕たちが仲間に対して負う必要のある責任は「愛」です。愛だけでは足りないでしょうか。いいえ、愛は兄弟・姉妹に対する神の律法を全うするのです。

あなた方は,互いに愛し合うことのほかは,だれにも何も負ってはなりません。… 愛は自分の隣人に対して悪を行ないません。ですから,愛は律法を全うするものなのです。
(新世界訳聖書 ローマ人への手紙13章8,10節)

 僕たちはいろいろな問題に直面しますから、いくつかの原則を考慮にいれなければなりません。いくつかの原則をバランスよく考えて、柔軟で道理にかなった対応をする必要があります。

 そのなかでも、覚えておかなけえればならない大切な原則は「兄弟・姉妹の前につまづきのもとをおかない」という原則です。

 そのことに関して自覚がなかったり、無意識に行っているということがあります。自分自身に関して、十分に吟味することは大切です。早急にならないで、エホバへの祈りのうちにじっくりと考慮しましょう。

 本人が重大な罪を犯しているのでないのであれば、エホバにならって辛抱強さを示すことができますし、優しい言葉をかけてあげることができます。心配事があったのかどうかを、尋ねてみることもできます。相談に乗ることもできるでしょう。

 「愛さない者は神を知るようになっていません」とイエスの弟子であるヨハネは言いました。仲間に愛を示して、本当に神を知る人になれるように努力をしていきましょう。