イエス・キリストの人物像 第21回 イエスの言葉「パリサイ人たちのパン種に気を付けなさい」

 イエスは生涯いつでも、神の義を第一に求めました。罪を犯さずに、罪のない犠牲をエホバに捧げました。また、多くの義を人に求めることもしませんでした。必要以上の義を求めることは、パリサイ人の特徴でした。

 僕たちは、いつも罪に対しては注意深くあろうとしていると思います。でも、もう一つ大切な観点があります。それは、パリサイ人の義を追い求めてはいないだろうかということです。

 イエスは弟子たちにこのようにいいました。

「パリサイ人たちのパン種に気を付けなさい。それはつまり偽善のことです。
(新世界訳聖書 ルカによる書12章1節)

 パン種というのは、イースト菌のことで、パンを膨らます役割を果たします。パリサイ人のパン種も、それが入れられるとあっというまに膨らんでしまうということです。ですから、僕たちは、会衆にパリサイ人のパン種が入らないように気をつける必要があります。

 このシリーズでもパリサイ人の義については、書いてきたのでおさらいしておきましょう。

パリサイ人はエホバの権威によって自分を高める

 パリサイ人は、エホバの権威によって自分を高めました。神が求めておられない事柄についても、細かな決定をし、人々の上に重荷を載せました。

 反対に、イエスは、エホバを高めて、自分を低めたのでした。

エスは、エホバを高めて、自分を低める。
パリサイ人は、エホバの権威によって、自分を高める。

 偽善とはなんだったでしょうか。それは、エホバの権威によって、自分たちは支配権を持っているという傲慢でした。その傲慢のために、イエスが神の子として地上に現れたときに、イエスを認めることができず、迫害し殺害したのでした。

 神の言葉を語った人の言葉を謙遜に受け入れることができませんでした。

 再びイエスが表し示されようとするときが、こようとしています。そのときに、傲慢であれば、きっと気づくことができないでしょう。いつでも謙遜でいたいものですね。

パリサイ人は公正と憐れみを忘れて罪のない人を罪に定める

 パリサイ人は、自分たちは律法を固く守っていると信じていました。律法を行っていることで、自分たちは罪人から分けられていると自負していました。

 そして、そのかたくなさのために、神の憐れみと公正を忘れてしまって、罪のない人を罪に定めました。

 イエスは反対に、自らが人々のところに出かけていって、人々の弱い部分を担いました。

パリサイ人は、神の憐れみと公正を忘れて、罪ではない人を罪に定めました。
エスは、自ら出かけていって、他の人の弱いところを担いました。

 パリサイ人は、神の基準と唱えながら、自分たちの基準で人を裁いて、人々を罪に定めていました。それでいて、パリサイ人は、人々の前では、祈りやほどこしをするために、善い人だと思われていました。イエスは偽善を見抜いていました。なんてすごいんでしょう。

パリサイ人は自分たちの伝統に従って細かなルールを作成した

 パリサイ人は、自分たちの伝統に従って細かなルールを作成しました。悪いことに、自分たちの伝統を、神の言葉によって正当化していたのです。

 自分たちが今持っている制度を神の言葉によって正統化するなら、僕たちもパリサイ人と同じ過ちを犯してしまいます。

 イエスはそうではなくて、いつもで聖書から神の言葉を語りました。そのおきては、軽いもので、重荷を人に背負わせるものではありませんでした。

エスは、神の考えを語った。軽くて、さわやかなもの。
パリサイ人は、自分たちの伝統に従って、細かなルールを作成した。

 神の言葉と唱えつつ、自分たちの伝統に従うという点で、パリサイ人は偽善的でした。僕たちも規則のようなもの、ローカルなルールを作って、それによって人々を縛るならば、イエスではなくって、パリサイ人に見習うことになるので、気をつける必要があると思います。

 イエス・キリストという土台以外のものが、会衆の下に入り込むと、会衆はもろく崩れ去ってしまうかもしれません。岩塊の上に立てた家は、嵐が来ても堅く立ちますが、そうではない家は、嵐のときにもろく吹き飛んでしまいます。

 パリサイ人のパン種が会衆に入り込まないように長老、またそれぞれの会衆の兄弟・姉妹たちよく気をつけてくださるならば、会衆はうまくいくと思います。

 パリサイ人のパン種は、知らない間に会衆に入り込んで、会衆を腐敗させていきます。だから、どうしてもよく気をつけてください。特に立派な立場にあると多くの人たちから信じられている兄弟たち(統治体、支部の兄弟たち、巡回監督)は、パリサイ人のパン種に本当にお気をつけください。

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