イエス・キリストの人物像 第22回 イエスの言葉「わたしのくびきは軽いのです」

 エホバの証人と聞いて、多くの人は、窮屈な宗教というイメージを持っているのかもしれません。またキリスト教の中でも制限の多い宗教というイメージを持っておられるかもしれません。

 どうしてこんなイメージがついてしまったんでしょうか。それは、僕たちの振る舞いに一因があるのかもれませんね。クリスチャンらしくない振る舞いに傷ついた兄弟・姉妹がいるということなのかもしれません。

 また言っていることと、実際に行っていることが、あまりに違うので、つまづいてしまった兄弟・姉妹がいるということなのかもしれません。

 また自分の良心によって、他人の良心を裁いていることが問題なのかもしれません。また自分の先入観によって、他の人を見下しているということが問題になっているのかもしれませんね。

 もしそんなイメージがついているとしたら、僕たちはもう一度聖書にしっかり立ち返る必要があるのではないでしょうか。

 エホバの言葉を語ったイエス・キリストはなんと言っているかというのは、大きなヒントになります。

わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです
(新世界訳聖書 マタイによる書11章29-30節)

 イエスのくびきは心地よく、荷が軽いんです。皆さん、どうでしょうか。心がすーっとするような、心地よい気持ちを、味わうことができているでしょうか。

 とても心がさわやかで、今にも走り出してしまいそうな、そのような気持ちのよい気分になれているでしょうか。イエスのくびきを背負っている人は、とても心が楽なんです。

 それとも、苛立ちや重いものがずっーと載っかたままになっているのかな。心の中が、腹立たしさで満ちてしまっているかな。批判的な気持ちで、心の中がいっぱいになっていないかな。

 クリスチャンとして軽いくびきを背負って、気持ちよく生活できているかな。もし今とても重い感じているなら、一度重荷を下ろすことが必要だと思うよ。批判的になって、エホバの証人から離れたいと思うことがあるかもしれないね。

 でも心を憤ったままにして、夜を過ごすなら心が重いよ。一日の辛いことは、一日で十分じゃないかな。ほうっておくと憤ったまま罪を犯すことになるかもしれないよ。そうはなりたくないんじゃないかな。

 自分が圧迫されているように見えても、エホバは逃れ道を与えくださる方です。エホバは自分に忠誠な人を決してお見捨てになりません。

 重いと感じるなら、自分がバプテスマを受けたところまで、戻ってみるのはどうかな。週二回の集会と、週一回の奉仕まで戻してみて、少し気持ちをのんびりさせてみるのはどうだろう。僕や長老から降りることは恥ずかしいことじゃないよ。変な目で見る人は、ほうっておけばいいんだ。

 重いまま奉仕を続けていてもエホバは喜ばれないし、自分の心が重いと、良いものを伝えることはできないんじゃないかな。イエスのくびきは軽いくびきだということを、伝えなくちゃならないのに、それが伝わらないと思うよ。

 自分がやらなくっちゃって強く思わなくてもいいんだよ。なんとかなるもんだよ。うつ病になったり、病気になるまで耐えなくってもいんだよ。自分の気持ちを話せばいいんだよ。

前へ 目次 次へ