イエス・キリストの人物像 第23回 イエスの言葉「木は実によって見分けられる」

 神の霊が働いているかどうか、それを僕たちはどのようにして知ることができるでしょうか。どのようなことによって、聖霊が確かに働いているということを見分けることができるでしょうか。

 木について考えてみてください。木は成長して、大きくなるとやがて実をつけます。たべて、おいしいかどうかは、その実を食べてみて初めてわかります。

 おいしい実がなったのであれば、あぁこの木はたくさん養分を吸って、良い育ち方をしたんだなぁということを知ることができます。実がなるまでは、外見だけで判断するということは、とても難しいのではないでしょうか。

 でも、実を食べておいしかったら、その木が立派な木であったことがわかります。もし、実がまずかったら、その木は良くない木であることがわかります。

 そうです。木は実によって知られるのです。イエスはこのようにいわれました。

あなた方は,その実によって彼らを見分けるでしょう。いばらからぶどうを,あざみからいちじくを集めることなどないではありませんか。同じように,良い木はみなりっぱな実を生み出し,腐った木はみな無価値な実を生み出すのです。
(新世界訳聖書 マタイによる書7章16-18節)

 良い実を生み出しているかどうかということが、良い木かどうかの判断です。とすれば、僕たちは、今までどんな実を生み出してきたかということに注目するのは、よいことではないでしょうか。

 僕たちは、失敗をします。よいと思って行うのですが、副作用に気づかずに悪い実を生み出していることがあるかもしれません。もし、生み出されている実をよく観察するならば、僕たちはよりよい考え方や行動をすることができると思います。

 たとえば過去30年間、僕たちはどのような実を生み出してきたでしょうか。良い結果を生み出してきたと自信を持っていえますか、それとも心の中に葛藤があるでしょうか、またもしかしたら悪い結果をもたらしている部分はないだろうかと謙遜に考慮することもあるでしょうか。

 たとえば「喜び」をもたらしていますか、それとも「不満」をもたらしていますか。「柔和さ」をもたらしていますか、それとも「わがまま」でしょうか。「正直さ」を生み出していますか、あるいは「二心」でしょうか。「信仰」をもたらしていますか、その逆の「不信」でしょうか。

 思い込みや先入観で判断するのではなくって、よく実を見て、判断することは大切なことだと思います。

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