イエス・キリストの人物像 第24回 イエスの言葉「わたしは復活であり命です」
死は悲しいです。死の別れはとてもさみしいです。不慮の事故や病気で親しい人がなくなったとしたらとても悲しいですね。もう一度会いたいなぁと思うんじゃないかな。もう一度話せたらなぁと思うんじゃないかな。
どうして人は死んでいくのですか。どうして人間にとって、死は辛く悲しいものなのでしょうか。受け入れざるを得ない宿命なのでしょうか。
いいえ。決して、そうじゃないんです。死は罪の結果、人間の中に入ってきたものです。最初の人間アダムとエバが犯した罪の結果、死は人の命を奪うものとして、人間社会を支配してきました。
死は多くの嘆きや悲しみをもたらしてきましたが、神は死と嘆きを取り除きたいと願っておられます。エホバ神はイエスを「命の言葉」として地上にお遣わしになりました。
イエスご自身がこういいます。
「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き返るのです。(...中略) あなたはこれを信じますか」
(新世界訳聖書 マタイによる書11章25-26節)
終わりの時には、エホバ神はイエスをもちいて、サタンがもたらしてきた不公正な結果を、死んでいる人を復活させることによって取り除きます。
なぜなら、サタンの計略とアダムの罪の結果によって、自分に責任がない何億という人が死んできたからです。罪は病気と死をもたらしました。神の保護のない状態は、不慮の事故をもたらしてきました。サタンの謀略の結果、世界中では悲惨な戦争が起こってきました。
イエスは、死んでいる人を復活させることによって不公正の結果を取り除きます。復活があることが信じられないという人もいると思います。けれども、公正を取り戻すためには、まず復活が起こらないければなりません。エホバ神は善良で公正な方だからです。
ですから、亡くなった人にもう一度会うことができるという希望があります。愛する人にもう一度会って話をすることができます! なんと素晴らしい希望でしょうか!
ぜひ信じてください。僕たちは、とてもうれしい知らせを伝えたいと思っています。