イエス・キリストの人物像 第11回 イエスの人柄「謙遜」

 前回までは、イエスがどのような活動したかということを中心に書いてきました。天におられましたが、地上にこられ、神の王国を宣べ伝え、購いを供えて、復活して天に昇られました。

 今回からは、イエスがどのような人だったのかを書いてみたいと思います。僕が一番好きなのは、イエスがきわめて謙遜な人だったということです。

 きっと僕たちは聖書を読むと、イエスがとても優れた素晴らしい人物に見えるでしょう。そして、とても善い人だと感じると思います。

 イエスが謙遜だったことを示す、一つのエピソードを紹介しましょう。以下はマルコによる書と呼ばれる書物に書かれているイエスのお話です。イエスは、他の人から「善い師よ」と呼びかけられます。そのときにイエスは、こんな風に反応します。

[イエス]が出かけようとしておられると,ある人が走り寄って来てその前にひざまずき,こう質問した。「善い師よ,永遠の命を受け継ぐためには何をしなければならないでしょうか」。イエスは彼に言われた,「なぜわたしのことを善いと呼ぶのですか。ただひとり,神以外には,だれも善い者はいません。
(新世界訳聖書 マルコによる書10章17-18節)

 イエスは「善い師よ」と呼ばれたときに、自分が善い人であることを否定します。そして、善いのは神ただおひとりだけであると答えて、神に栄光を帰します。

 イエスのお手本はとても役にたちます。イエスは、いつも自分を低めて、神に栄光を帰しました。自分を低めることが神を高めることだと知っていました。兄弟たちの中にあって、自分を高めず、いつも謙遜でした。

エスは、エホバを高めて、自分を低める。

 その反対に、パリサイ人は、神の権威によって、自分の権威を強調しました。パリサイ人は、自分は神に是認されているといって、自分たちの権威を強調し、民を支配するためにそれを利用しました。なんとイエスと対象的でしょうか。

パリサイ人は、エホバの権威によって、自分を高める。

 僕たちはぜひイエスに見習って、パリサイ人に見習わないようにしましょう。もしそのような傾向を愛するとすれば、神ではなくパリサイ人を愛することになってしまいます。

 イエスは、一番でありたいと思う人は、一番若いもののようでありなさいといいました。偉くなりたいと思う人は、他の人に奴隷として仕えなさいといいました。

 世の中の会社では、偉い人が立場として上に立っています。社長と平社員はどちらが、立場が上なのですか。それは、社長ではないでしょうか。

世の会社では、平社員よりも社長のほうが立場が上

 でもクリスチャン会衆ではこれとは反対です。長老は上に立つ立場ではなくって、会衆に仕える立場なのです。

クリスチャン会衆では、長老が会衆に仕える

 長老たち。若い人から年老いた人まで、神の相続財産である人たちに対して、どうか公平に愛をもって接してください。強く当たってはいけません、話に耳を傾けてください。自分の思うままに誘導してはいけません、緊張させてはいけません。リラックスして話ができる父親のようであってください。

 いつも僕たちはイエスに見習って、謙遜でいること、仲間の兄弟・姉妹の上に自分を高めないことは、大切なことです。神のお名前が高められなければならず、それ以外のものを高めてはいけません。神の権威によって威張ってはいけません。

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