イエス・キリストの人物像 第10回 「イエスは復活して天に昇る」

 イエス・キリストは、まるで大きな罪を犯した罪人のようにして、苦しみの杭の上で処刑されました。生まれてから罪を犯さず、まったく傷のないものとして、罪の贖いをエホバに差し出しました。

 義人が罪人のために死にました。良い人のためならば、僕たちは命をなげ打つという決定ができるかもしれません。けれども、自分の父親に罪を犯した人のために、命をなげうつことはできるでしょうか。それはなんと辛いことでしょうか。

 それでもイエスは、地上にこられ神のご意志をまっとうされました。イエスはもだえ苦しみましたが、自分の意志ではなく、父のご意志が行われるようにと祈りました。神のみ子であったにもかかわらず、人に対して奴隷のように仕え、人の罪を背負って、命をなげ打たれました。

 イエス・キリストにおいて、神の愛と過分のご親切が最大限に表明されました。だから、僕たちはみ子について忘れてはいけません。み子はエホバの最大の愛の表明だからです。

 けれども、エホバ神は愛ある方なので、イエスを死なせたままほうっておくという決定はされませんでした。イエスはシェオルに3日3晩おられましたが、聖書に書かれた預言どおりエホバ神によって復活させられます。

 この復活は大きな意味があります。エホバが義なる人に対して、与える結末を僕たちは知ることができるからです。義なる者の最後は死ではなくて、永遠の命です。

 多くの人はいったん死の眠りにつきますが、終わりの日にイエスは、死者を復活させます。そして義なる人には、最終的には永遠の命が与えられます。

 イエスは復活して、多くの弟子たちに姿を見せた後に、弟子たちが見守る中で天に昇ってゆかれました。イエスは今は、天におられ、神と共に働いておられます。神と人の間にはいって仲介者として働いておられます。

 だから僕たちはイエスを通してエホバに祈ります。み子だけがエホバに通じる道であるということを信じています。まったく傷のない子羊のような血を携えて天に上られたので、僕たちはイエスに信仰を働かせることによって、罪を持つものではありますが、はばかりなくエホバに近づくことができます。

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