インターネットの世界ではエホバの証人は排斥された人とコミュニケーションをとっています

 エホバの証人は排斥された人を無視するというのは、半分本当で、半分は間違いです。エホバの証人の兄弟姉妹は、匿名のインターネットの世界では、排斥された人と普通にコミュニケーションをとっています。つまり、多くの兄弟・姉妹は、排斥された人ともコミュニケーションをとることを罪ともエホバへの反抗とも考えていないということです。

インターネットの世界ではエホバの証人は排斥された人とコミュニケーションをとっている

 でも現実の会衆では、エホバの証人は排斥された人とコミュニケーションをとりません。これは、何を意味していますか。それは、結局、排斥された人と話したら、自分が排斥されて人間関係を絶たれてしまうと考えて、恐怖によって排斥された人を無視するという行為に参加しているということです。

 だから研究生の方やエホバの証人を妻にもつご主人さんは、この点を指摘したり教えてあげたりするのがいいと思います。「エホバの証人は排斥された人と接するようになっていますけど、どう思いますか」と聞いてみてください。「彼らは背教者です」といえば「仲間に冷たいんですね。愛とか幸福といっていても、結局冷たい宗教なんですね」といってあげてください。

 排斥された人を無視しているエホバの証人の兄弟・姉妹は「排斥は愛ある取り決めだ」「エホバのご意思なんだ」と無理やり自分を納得させる傾向があります。そうしないと、精神が崩壊してしまいます。良いことを行っている自分でありたいという願望を人は持っているからです。

 「排斥は愛ある取り決めだ」とは聖書には書いていないという事実や、イエス・キリストによって、律法は廃されたというあたりまえの事実すら見ることはできずにいます。それは、ものみの塔協会が作り出した排斥という制度は、兄弟・姉妹に恐怖をもたらすものだということを意味しています。

 ものみの塔協会は、神への信仰を育てるというよりも、恐怖によって人々を支配することをよしと考えています。自分たちと違う意見を持つものは、サタンであり、背教者であり、偽教師であり、組織の清さを汚す悪者なのです。

 自分たちと違う意見を持った人を排除するということは、自分たちの行いが正しいといっているのと同じです。このようにして、神は正しいとは言わずに、行いによって自分たちは正しいということを主張し続け、それによって、神の名前を汚しているのです。排斥は、エホバの名前を汚す行為になっています。

 「汚れたものには触れるな」というものみの塔協会のアドバイスに従って、汚れたものみの塔協会に協力するのは、今はやめておくのがいいと思います。世界的な業と王国会館基金に寄付するのは、ものみの塔協会がましになるまで、控えておくのがいいと思います。今寄付をしても、そのお金は、児童性的虐待裁判の賠償金に利用されてしまうだけかもしれません。