排斥
僕は、ある姉妹からいわれたこんな言葉が印象に残っています。それは「排斥されるのは、はなはだしい罪を犯して悔い改めない場合だけなの」という言葉です。そのときは、詳しくは説明できませんでしたが、それは、まったくの間違いで、その他の理由でも、長…
ものみの塔協会に対抗するための、ひとつの選択肢について書きます。エホバの証人というのは、組織に対して非常に忠節な方が多いです。だから、下からいくら突き上げたとしても、僕たちの話を聞いてはくれない。 けれども、組織が、こういったら、エホバの証…
ものみの塔協会の排斥制度によって、家族の絆が絶たれるという人権侵害が、日本中、また世界中で起こっています。排斥制度によって、苦しんでいる人はたくさんいます。 ものみの塔協会が解散するか、排斥制度を取りやめれば解決なのですが、それがいつになる…
排斥の最悪の結末は、精神的ショックによる自殺です。排斥制度は、人の評判を地に落とし、仲良かった仲間から完全に無視をされるという制裁です。このような制裁によって、もし排斥された人が、自殺してしまった場合、あなたは、責任をとれますか。 もし排斥…
復帰の基準は、現在罪を続けていないということだけでよいと思う。罪が終わっているのに、制裁を行い続けるというのはよくない。復帰を望んでいるのに、会衆では、無視され続けたまま、2年も3年もたっている人がいるけれど、これは、どう考えても人権侵害に…
カレブさんのところで、排斥問題に関するフィンランドでの報道が書かれていました。これは、うれしいニュースなので、感じたことを書いてみます。 フィンランドは他のヨーロッパ諸国と同じように信教の自由が尊重されている国です。信教の自由には独自の習慣…
ものみの塔協会は、一般の人向けの排斥の解説と、長老と呼ばれる会衆の運営者に対する指示で、ぜんぜん違うことを教えています。表向けには、オブラートにつつんで、なるべくきれいに見せようとしますけれど、実際の運用は、ひどいものです。 そこで、表の顔…
神の愛は忠節な愛です。忠節な愛というのは、裏切らない愛です。「あたなはわたしを愛した、それゆえに、わたしはあなたを愛そう」という神からの愛です。 人の愛はいつもすれ違うのです。「わたしはあなたをこんなに愛したのに、あなたはいなくなってしまっ…
エホバの証人の排斥制度はひどいものです。この制度がある限りは、僕は、バプテスマはまったく薦めようとは思いません。 表向きは、排斥がそれほど悪くないような印象を与えるために、公式サイトには、「宗教的な結びつきは変わりますが,家族としてのきずな…
エホバの証人の公式サイトには「エホバの証人ではなくなった人を避けますか」という質問への回答が掲載されていますが、読む人に対して、多くの誤解を与える表現になっていると思います。 ですから、少し補足して、エホバの証人の現状を加味した回答にしたい…
忌避とは、人を避けること、無視すること、のけものにすることです。排斥された人を忌避するエホの証人のやり方は、人権侵害行為に該当すると、今の僕は考えています。 りんごさんが、法務省にエホバの証人の持っているいくつかのやり方について、法務省に確…
エホバの証人は排斥された人を無視するというのは、半分本当で、半分は間違いです。エホバの証人の兄弟姉妹は、匿名のインターネットの世界では、排斥された人と普通にコミュニケーションをとっています。つまり、多くの兄弟・姉妹は、排斥された人ともコミ…
排斥は、パワーハラスメントです。知っていましたか。ハラスメントの中には「無視やのけもの」にすることが含まれています。そして、権力を使ってハラスメントを行うことをパワーハラスメントといいます。こう考えれば、排斥という行為は、パワーハラスメン…
日本の会衆では、排斥されて集会に出席している人を1年も2年も放置するということが、習慣として行われている。これは、比較的短期間で復帰できる海外の会衆とは、どうも様子が異なるようだ。 僕は根本的に、排斥制度がなくなることを望んでいますけれど、現…
あるところに排斥された人がいました。この人は、精神的にまいってしまっていて、とても辛い状況にありました。だれかの助けを必要としていたのです。 スーパーに買い物にいくと、あるエホバの証人の姉妹が通りかかりましたが、排斥者であることがわかると、…
エホバの証人の内部改善するにあたって、大きな目標の一つは排斥制度の廃止です。排斥は、たんなる除名というものではなくて、その人を永久にわたって全員で無視するという過酷なものです。また同居していない家族は完全に無視するように、同居していたとし…
「エホバの証人についてのブログ」さんのところで、興味深い話が書かれていました。悲しい話ですが、これがエホバの証人の現実です。研究性だと喜んで、会衆で盛り上がっていたら、自分は過去に排斥されたということを告白する場面です。 別の会衆で、やはり…
排斥という制度をいったいどんなふうにたとえるとぴったりくるかなぁと考えていた。「みせしめ」とか「制裁」という言葉もいい感じだけれど、暴力装置という言葉が、ぐっとくる感じがする。 排斥は暴力装置 僕がこんな風に言うのは、排斥は愛によるものでは…
排斥された兄弟・姉妹に対して、長老のさじ加減で、復帰の時期を遅らせているという報告がちらほらとあります。二年も三年も復帰させないで、そのままの状態にしているという報告もちらほらとききます。 自分に従順でなければ、復帰させないという、そのよう…
「排斥制度」は愛のある取り決めと、僕たちエホバの証人は学んでいます。でも、ちょっと待ってください。実際にどのような実が生み出されているのかということを、きちんと知ってから判断するのでも、遅くはないんじゃないでしょうか。 実際に、次のような事…
排斥の問題を考えます。 今日からは排斥の問題点について考えていきたいと思います 排斥は罪を犯した人を全員で無視するということを意味している 排斥された人と接触を持つとどうなるか 排斥された人を弁護するとどうなるか 統合失調症という病気のこと 排…
長老たち、排斥された自分の家族と接する兄弟・姉妹を受け入てください。僕は、たくさんのブログに書かれたコメントで、排斥された自分の家族と接する兄弟・姉妹を、巡回監督や長老が無視したり、圧力をかけているという情報を目にしました。 その方法はだれ…
ものみの塔協会は、排斥された家族と接する場合の指針をWebサイトを通して発表してくれました。もう排斥によって家族のきずなが断たれることはないと宣言してくれました。とてもよい変化が訪れました。最新の見解です。よかったです。 ぜひエホバの証人の兄…
排斥制度の怖いところは、恣意的な排斥が、いつでも起こる危険性があるということです。疑わしきは罰せずというよりも、むしろ、疑わしきは罰せよという方針で、排斥が行われてきた現実があります。僕は、実感していますが、長老には、正しく人を裁く能力が…
統治体の作り出した現在の排斥制度では、背教を理由として排斥を行うことができます。統治体が背教者と認定した人に対しては、罪を犯していなくても、排斥を行うことができます。 これが、排斥制度の怖いところで、言論弾圧の道具になっています。どんな人が…
排斥のテーマに戻りたいと思います。今日は、排斥をどんな風に無意味なものに変化させていくかという方法について書きたいと思います。 排斥という言葉は聖書には登場しません。なぜなら、1世紀当時にそんな制度は存在しないからです。また審理委員会という…
排斥の問題点は山ほどありますが、今回は、そのひとつである、排斥と断絶が同じ処置になっているという点を取り上げたいと思います。 断絶とは、自分からエホバの証人を辞めることです。エホバの証人を辞めるように、長老に伝えた場合に「その人は断絶した」…
過去に統治体とものみの塔協会は、しつけとして子ども鞭打つことを指示していました。長老たちも間に受けて、子どもたちを守るという役割を放棄していました。 統治体とものみの塔協会の言葉を真に受けて、鞭打ちがエスカレートしていっても、それに対して批…
みなさんは統合失調症という病気についてご存知ですか。統合失調症という病気は、人口の100人に1人くらいの割合で発症する、精神疾患のことです。心の病気です。 僕は、エホバの証人は、いつでも心の状態が正常に保てるということが前提で、あらゆる話をして…
排斥された人を弁護するとどうなるでしょうか。僕はまだこの点に関しては、情報をあまりいていないですが、ブログなどのコメントを見ていると、排斥された人を弁護した人も排斥になる場合があるようです。 排斥された人を弁護した場合は、そのことが理由で排…