これがエホバの証人の示す悲しい愛の現実です

 「エホバの証人についてのブログ」さんのところで、興味深い話が書かれていました。悲しい話ですが、これがエホバの証人の現実です。研究性だと喜んで、会衆で盛り上がっていたら、自分は過去に排斥されたということを告白する場面です。

別の会衆で、やはり「研究生」が集会に出席し始め、大抵の会衆で研究生が経験するように「チヤホヤ」されます。エホ証はなんて「温かい組織」なんだろうと感じ、涙ながらに自分は20年前に排斥されたことを告白します。次の集会から全員無視です。この人は集会に来るのをやめます。
(排斥の時効 - エホバの証人についてのブログ)

 さて、僕たちは、この事実を紙に書いて、家から家への伝道でこの話をして、これが私たちの愛ですと堂々と言えるでしょうか。もしいえないのであれば、後ろめたさを感じていたり、おかしいと感じているということです。

 エホバの証人の現実を紙にまとめて、伝道に出ることができますか。このことを積極的に語ることができますか。エホバの証人の現実が、すべて世間に明らかになったとしても、恥ずかしくない気持ちで、伝道にでることができますか。

 もし変だと感じているのであれば、統治体と話をし、交渉する手段を考えないといけません。放置することは、多くの被害者を増やすし、悲しい現実を増やしてしまうだけです。

 僕は、もっと多くのことが世間に明らかになっても、なんら心に不安や後ろめたさを感じないような、生き方をしたいと思います。隠蔽してそのときは、うまく取り繕うことができても、エホバは、真実の神、光の神なので、裁きのときには、隠されてきたことがすべて明らかになります。

 ですから、僕たちエホバの証人も、すべてが明らかになっても、恥ずかしくない会衆の運営をしていく必要があると思います。手続きや手紙、会衆の現実がすべて明らかになっても、なんら後ろめたくない運営をしていく必要があると思います。