巡回監督も批判の対象に含めよう

 僕たちは、長老と統治体への批判は日々行っています。なんでかというと、長老は実際に加害者になることが多いので、批判の的になりやすいです。統治体は、ものみの塔協会のトップなので、批判の対象になりやすいです。

 巡回監督と日本支部についていえば、生活の中に出現しないので、批判の的になりにくいです。でも、鞭の政策を進めたり、ローカルルールを作っていたのは、実は長老だけではなくって、日本支部と巡回監督にも、多大な責任があります。

 ローカルルールの中で、長老が決めたと思っていたものの中には、実は巡回監督が決めたこともたくさんあると思います。

 長老は巡回監督に対して意見することができません。なぜなら、支持に従わないということは、長老という特権を削除されるということを意味しているからです。だから、長老、特に調整者は、巡回監督の視線を気にして、巡回監督が言ったことを、会衆に反映させようとします。

 このとき、巡回監督が言ったということをいいません。巡回監督は、会衆から見ればよい人であってほしいので、都合の悪いようなことは、長老にまかせるという傾向が、巡回監督には強いからです。つまり、会衆に対しては、自分をよい人にみせますが、都合の悪いことは長老にまかせる傾向があります。

 巡回監督は、研究生や姉妹たちには優しいですけれど、長老や奉仕の僕に対しては、とても厳しいのです。この裏側を姉妹たちは見ていないので、巡回監督をニコニコしたよい人だと思いがちです。しかし実際は、支配欲がとても強い人が多いというのが、巡回監督の平均的な姿ではないでしょうか。組織の権威を使って、人に自分の考えをさせたがります。

 巡回監督は生活を、統治体に握られているので、日本支部や統治体に対しては何も意見することができません。話し合いというのは行われなくて、日本支部が決めた一方的な決定を、会衆に反映させにきます。長老と奉仕の僕の集まりで、自分の権威を誇示します。長老や奉仕の僕を削除することで、自分の力を見せしめ、恐怖による支配を行います。

 特権の削除という制裁が、ものみの塔協会の会衆支配の方法なので、僕は、なんらかの特権を得ることを、まったくお勧めしません。特権を得てしまうと、削除という恐怖のために行動せざるを得なくなって、神に対する自分の良心で、行動できなくなってしまうからです。

 巡回訪問を巡回監督をありがたがらせるような現在のあり方も大いに疑問です。そこでは、人間が崇拝されているからです。兄弟・姉妹たちは「巡回監督が○○いっていた」ということを、巡回監督の名前を使って、会衆の暗黙のルールにしようとする傾向さえあります。

 大切なことは、巡回監督や組織がどういっていたかよりも、神はどう思っておられるかということを、考えてみることだと思います。巡回監督や組織が、エホバやイエスを差し置いて、心の中の前面に現れだしたら、危険信号です。崇拝の対象が人間になってしまっています。