排斥制度は大きな事件が大々的に報道される前に変えたい

 過去に統治体とものみの塔協会は、しつけとして子ども鞭打つことを指示していました。長老たちも間に受けて、子どもたちを守るという役割を放棄していました。

 統治体とものみの塔協会の言葉を真に受けて、鞭打ちがエスカレートしていっても、それに対して批判することができる人はおらず、姉妹の中では「この鞭を使ったほうが効果があるんじゃない」ということを言ったり、小さなミスをしたり、集会で居眠りしたりするだけで、鞭で打ち叩いたりと、異常な光景が、繰り広げられていました。

 僕たちは、このような状況であったにもかかわらず、内部からは何の提案も批判もできてはいませんでした。巡回監督や長老は自分の権威を振り回して、演壇の上から、鞭打つようにと指示してました。

 鞭打ちは、王国会館の中でも行われていました。第二会場に子どもを引っ張っていってそこで鞭打ちます。この状況はどのようにして改善されたと思いますか。それは、外部の人が、王国会館で虐待があると警察に通報した後です。

 外部の人が警察に通報して初めて、王国会館の中では鞭をしないようにという指示が発表されました。僕たちは、悲劇が増していく中で、内部からは何の声も上げることができなかったのです。ただ、警察の介入があって、世間体が悪くなるのが嫌だから日本支部は、王国会館の中で鞭をしないようにという指示をだしました。

 では鞭はどのようにして終わっていくのでしょうか。それは「鞭打ちによる折檻死事件」が大々的に報道されてからです。

エホバの証人「せっかん死」事件の報道

 ひとりの子どもが死んで、そして、それが大々的に報道されて、日本支部が世間体を気にするようになった後に、鞭の方針は取り下げられていきます。この事件がなかったとしたら、今でも続いていると考えると恐怖です。おそらく体罰が悪いことだと、大々的に報道されるまでは、取り下げられなかったに違いありません。

 人は事件が起こってから「どうしてこんな悲劇が起こってしまったのだろう」といいます。馬鹿なこといってるんじゃないよ。それは、内部の声を無視し続けたからでしょう。声を封殺するように圧力をかけていたから、いいだせなかったんでしょうが。

 「エホバを待っていなさい」というのはいつでも言い訳に使われるんだ。でも待っている必要はないよ。内部で改善できることは、速く動いたほうがいいんだよ。たとえば「排斥によってひとりの子どもが自殺に追い込まれた」ということが、大々的に報道されてから、世間体を気にして、対応するのではなくって、その前に改善にとりくまなくっちゃ。

 排斥による処置は今では、ヨーロッパでは人権侵害の問題として取り上げられ始めています。僕も、排斥によって、エホバの証人全員でひとりの人を無視するということは、集団いじめだと考えています。過酷なリンチ、必要以上の処罰、見せしめ、愛のない制度、野蛮な行為。

 排斥という決定を行いたくないなら長老にならないほうがいいと思います。また、排斥された人と接触を持ちたいと思うなら、特権と呼ばれるものは、得ないほうがよいと思います。間違いなく、見つかったときに削除されてしまいます。悲しい思いをしたくないなら特権と呼ばれているものには近づかないほうがよいと思います。