統合失調症という病気のこと

 みなさんは統合失調症という病気についてご存知ですか。統合失調症という病気は、人口の100人に1人くらいの割合で発症する、精神疾患のことです。心の病気です。

 僕は、エホバの証人は、いつでも心の状態が正常に保てるということが前提で、あらゆる話をしているように感じます。そして、うまくできない人に対しては、なまけものというレッテルを貼ったり、この人は少しおかしいから、避けていたほうがよいと考えたりしがちです。

 上品で、口当たりがよく、特権を持っている人に対しては親切ですが、反対に、少し変だと感じる兄弟・姉妹に対しては、平気で無視をするということが見られます。特に姉妹たちにはこの傾向を強く感じます。

 僕たちの主であるイエスは、だれに対しても親切でした。罪人として知られている女は、このような女性でした。

 「あなたはこの女を見ていますか。わたしはあなたの家の中に入りましたが,あなたはわたしの足のための水をくれませんでした。しかし,この女は自分の涙でわたしの足をぬらし,自分の髪の毛でそれをふき取りました。

 あなたはわたしに口づけしたりはしませんでしたが,この女は,わたしが入って来た時から,わたしの足に優しく口づけしてやめませんでした。あなたはわたしの頭に油を塗りませんでしたが,この女はわたしの足に香油を塗ったのです。
(新世界訳聖書 マタイ7章44-46節)

 自分の涙でイエスの足を濡らし、髪の毛でイエスの足を拭くという行為は、普通の人の常識的な行動ではないと思います。また自分が持っていた、高価な油をイエスの頭に注ぎました。

 もしこんなことをする女性がいたとすれば、イエスの弟子たちと同じような反応をするに違いありません。どうして高価な油をそんなふうに使うのか、髪の毛で足を拭くなんて、なんて常識のない女性でしょう。「その行為は、ふさわしくありません。クリスチャンの基準は高いのです。」

 けれども、イエスは、この女性に対して親切でした。イエスは「彼女は多く(わたしを)愛したのです。」と言って、その女性を誉めます。イエスは「その人ができることをした」という部分に目を向けます。

 さて統合失調症の話に戻りますが、統合失調症は心(あるいは脳)の疾患なので、うまく考えを整えたり、考えの内容をまとめたりすることができなくなります。また妄想にかられるといった症状がでます。

 妄想というのは、客観的に見てありえないことを事実だと信じてしまうという状態です。またそれを否定されると、神経過敏や鬱状態、自己喪失感で、心が押しつぶされるようです。

 さてここで排斥と関係してくるのは「異なる意見を持っていて、それを広める人を背教者とみなして排斥できる」という制度の部分です。

 思考がうまくまとまらないわけですから、だれにもかれにも、妄想を話すということが起こりえるわけです。そうすると背教者と認定されることが起こりえるわけです。

 人間の決定ですから、誤認はいつでも起こりえます。誤認が起こると、弱っている人、精神疾患に陥りかけている人を排除するということが起こりえます。

 思考がうまく保てないせいで信仰もうまく保てなくなっているのに、それを信仰を足りない人とみなして、排除することは起こってはいけないことだと感じます。エホバとイエスにとって、よい小麦が、神の牧者と名乗る人によって、取り除かれてしまいます。

 僕たちがしなければならないことは、イエスと同じように、できている部分に目を留めることではないかな。肯定、是認、受け入れること、受容。

 できないことで鞭打つのではなくって。

 風邪を引くことは、おかしなことではないね。怪我をすることは、おかしなことではないね。同じように、精神疾患にかかってしまうということも、おかしなことではないね。僕たちの心の内側にある目が差別的な感情を生み出しているんだと思います。