排斥された人を弁護するとどうなるか

 排斥された人を弁護するとどうなるでしょうか。僕はまだこの点に関しては、情報をあまりいていないですが、ブログなどのコメントを見ていると、排斥された人を弁護した人も排斥になる場合があるようです。

排斥された人を弁護した場合は、そのことが理由で排斥されることがある

 いったい弁護した人はどんな罪を犯したのでしょうか。それは「排斥された人を弁護した罪」です。「長老の決定を支持しないことによって、長老の主権を侵した罪」です。

 いったいこれは罪なのでしょうか。罪を犯した人を弁護する弁護人は、罪人なのでしょうか。共に犯罪を犯したのであればその人は、訴えられるでしょう。けれども、犯罪を犯した人を弁護する弁護人は、犯罪を犯した人と一緒に裁かれるのですか。

 もしこのような形の排斥があるとすれば、このような決定は、間違っていると言わざるをえません。権威を持つ人は、統治体もそうですが、長老たちも含めて、恣意的な理由による排斥を過去にたくさん行ってきました。

 この人は疑わしいという理由だけで、背教者と認定し、排斥することができるのです。またこの人は反対者だと認定するだけで、背教者とみなして、排斥することができるのです。

 排斥は残念ながら、口を閉ざすための道具として、利用されてきた歴史があります。真実や憐れみは優先度が低くて、統治体の主権を乱しているかどうかということが、統治体にとっては最も重要です。過去の裁判や歴史、また出版物を注意深く調べると、統治体の行動原理がわかります。この行動原理を、ぜひ捨ててもらわないといけないです。

 エホバの証人は一致していると統治体とものみの塔協会はいいますけれど、排斥によって、強制的に分裂を生じさせて、その残った仲間たちだけによる一致です。「邪悪なものを排除して、清められた、清められた」と統治体はいいますが、実際のところ、イエス・キリストの体を切り刻んで喜んでいます。平和な一致ではないんです。