排斥制度の表の顔と裏の顔

 ものみの塔協会は、一般の人向けの排斥の解説と、長老と呼ばれる会衆の運営者に対する指示で、ぜんぜん違うことを教えています。表向けには、オブラートにつつんで、なるべくきれいに見せようとしますけれど、実際の運用は、ひどいものです。

 そこで、表の顔と裏の顔について、知っておいてもらいたいと思います。

排斥制度の表の顔

 これは、Webサイトに掲載されているもので、排斥のひどい点を、オブラートにくるんで隠しつつ、よい印象を与えようとしているものです。この解説は、現役のエホバの証人が見たら、口をあんぐりとあけることでしょう。

ある人が排斥されたものの,妻や子どもが引き続きエホバの証人である場合はどうでしょうか。宗教的な結びつきは変わりますが,家族としてのきずなは変わりません。結婚関係,家族の愛情やかかわりは続きます。
(エホバの証人ではなくなった人を避けますか)

 このように、排斥されたとしても、家族との絆は切れないような印象を与えています。

排斥制度の裏の顔

 しかし、実際に、ものみの塔協会が、巡回監督や長老に指示していることはどんなことでしょうか。それは、次のような内容です。

ここで排斥に関するJW組織の取り決めについてお伝えしたいと思います。組織の指示は下記の通りです。

  • 肉の業である淫行,汚れ,みだらな行ないを犯して悔い改めない者は、排斥に値する違反なので会衆により排斥されます。
  • 排斥者が自ら悔い改めて、組織に復帰しない限り、彼らにはあいさつさえしてはならない。
  • それに違反した者もまた、罪を犯していることになる
  • たとえ、排斥者が家族の一人であっても特別な事情が無い限り、同居してはならない。
  • 排斥者と家族の交友は禁じられる
  • 以上のような排斥の取り決めは神の愛の取り決めである

(巡回からの直電は組織の指示違反)

排斥の決定

 実際は、このような指示のもとで、排斥制度の運用がなされています。みだらな行いの中には、長老に反抗すること、組織に反抗することが含まれます。ですから、ものみの塔協会は、結局のところ、どのような理由をつけても、排斥することが可能です。

 真実を追究する手続きはもうけられておらず、長老、巡回監督、日本支部による、一方的な宗教裁判で排斥が決定されます。この宗教裁判は、審理委員会と呼ばれ、秘密裁判です。また、長老が加害者であっても、審理委員会のメンバーになれますから、加害者が被害者を裁いて、排斥にすることも可能です。

エホバの証人全員での無視

 排斥された人には、あいさつさえしてはなりません。これは、全員で無視を行うということです。排斥者に話しかけた人はまた罪になり、それを理由にして、排斥を行うことが可能です。ものみの塔協会は「お前も村八分にするぞ」という脅迫を行うことによって、他者の自由な良心や信仰を侵害している、人権侵害組織となっています。

家族への圧力

 公式サイトでは「家族としての絆は変わりません」と書いています。しかし、実際の運用は、家族と接しないように徹底的に圧力をかけるようになっています。

神の愛の取り決め

 そして、最後に、ものみの塔協会は、自然の情愛によれば愛がないと感じる行為については「これはエホバの愛ある取り決めです」といいます。

 「排斥している側は辛いかもしれませんが、これは、神の愛ある取り決めなので、支持していきましょう」という論理を組み立てて、エホバの証人の兄弟・姉妹を説得します。ほんとうに、バカタレです。

 たとえば、幼児をムチで叩いて、「これはエホバの愛ある取り決めなのです。心では辛いと思っていても、子供のために、精一杯ムチで打ち叩きましょう。これによって、エホバに愛を示すことができます。これは、神の愛ある取り決めなのです。」

 ちょっと、気が狂っていると思いませんか。日本支部、巡回監督、長老たちは、一昔前、このような理由をつけて、虐待を正当化していました。

 排斥制度も同じようなものなのです。排斥制度は、愛の取り決めではなくって、人権侵害的な取り決めです。排斥制度がなくなるまでは、エホバの証人にならないほうが、身のためです。