現在罪を犯していないのであれば復帰を認めるべきだ
復帰の基準は、現在罪を続けていないということだけでよいと思う。罪が終わっているのに、制裁を行い続けるというのはよくない。復帰を望んでいるのに、会衆では、無視され続けたまま、2年も3年もたっている人がいるけれど、これは、どう考えても人権侵害に当たる。
長老の裁量で、忌避を続けることは、直ちにやめるべきだと思う。長老に従順であるかどうかなんて、ほとんどどうでもよいこと。排斥の理由になった行いを、現在続けていないのであれば、排斥の処置を取り消すべきだ。
現在、排斥の理由となった罪を犯し続けていないのに、制裁を行い続けることは、非常に問題で、行き過ぎた懲罰行為だ。
フィンランドでは、審理委員会の決定による忌避行為自体が、非常に問題視され始めている。日本の会衆では、忌避行為が2年にも3年にも及ぶことがある。こういう異常な事態が発生していることを、もっと社会的にも知ってもらいたい。
ものみの塔協会は、決して友という理由では動いてくれはしない。排斥は、兄弟姉妹にとって、非道な行いだから、排斥制度をやめる決定をするということは、ありえない。やめるとすれば、排斥制度を維持し続けていれば、社会からの評価が下がったり、裁判で賠償金を取られる可能性が高まったときだ。
また、排斥制度を維持しているなら、寄付をしないというエホバの証人が増えてきたときだ。排斥制度の廃止に向けてできることは、
- 研究生にバプテスマを受けないように提案すること。受けてしまうと排斥の対象になってしまう
- 復帰を望んでいる人に、復帰をさせないのは、過酷な制裁を続けているということを言い続けること。
- 排斥制度は、人を村八分にするという点で、人格に対する過剰な攻撃となっているし、過酷なものであることを伝えること。
- 社会的に排斥の現状を認知してもらって、裁判を起こしたときに、村八分の制裁に対する損害賠償を請求できる雰囲気を作ること。
- 不当な理由での排斥が行われていることを知らせること。
- 排斥制度がなくなるまで、会衆への寄付も世界的な業への寄付もいっさいしないこと。
などです。ものみの塔協会にとっては、寄付が集まらないというのが、一番の痛手です。復帰を望んでいる人が、早く復帰して、自然消滅できればいいなと思う。