小さな種が大きな木になる
神の国というものについて、イエスは、たとえ話でしか、解説しませんね。多くの人が、神の国が実現するというのは、どういうことだろうかと疑問に思っていますけれど、イエスは、神の国について、いつでも比ゆで語ります。
それが実際にどのようなものなのか、いつ実現するのか、イエスは、何もはっきりとしたことは語らず、すべてをたとえ話によって話されました。
イエスは、王国を第一に求めなさいといいましたけれど、肝心の王国については、いつでも比ゆで語られました。その中でも、好きなお話は、からしの種粒のお話です。
そして[イエス]は続けてこう言われた。「わたしたちは神の王国を何にたとえたらよいでしょうか。あるいは,どんな例えでそれを説明しましょうか。からしの種粒のようです。地面にまかれたとき,それは地上のあらゆる種の中で一番小さなものでした―しかしいったんまかれると,生え出て来て,ほかのすべての野菜より大きくなり,大きな枝を出して,天の鳥たちがその陰に宿り場を見いだせるほどになるのです」。
(マルコ 4:30-32)
「神の王国は、からしの種粒のようです」といいます。それは、最初は、すべてのものの中で小さく、とるに足りないものとみなされました。ほとんど価値がなく、吹き飛べば、なくなってしまいます。神の王国は、このようなものです。
けれども、それは成長すると、他のすべての野菜よりも大きくなります。もっともとるに足りず価値のないように見えた、他のすべてのものより大きな価値を持つことになります。そしてそれは、安らぎの場所となります。
今は、小さいかもしれない。今は、馬鹿にされるかもしれない。今は、笑われるかもしれない。けれども、それは良い土に落ちれば、育って、価値の大きいものになる。それは、人々の体と心を癒し、安らぎの場所ともなる。
イエスは、このようなものを求めなさいといわれたのです。
パリサイ人は、立派な衣装を着て、注目を浴びて、会堂の目立つところで語っていましたね。人の見えるところで祈り、自分たちの善を人に見せて、その報いをすべて受け取っていました。貧しい人たちから奪い、自分たちの蔵に入れ、そのお金で、自分たちをさらに立派に見せていたのです。