背教による排斥が可能であるという問題。どのような人を背教者とみなすことができるか。

 統治体の作り出した現在の排斥制度では、背教を理由として排斥を行うことができます。統治体が背教者と認定した人に対しては、罪を犯していなくても、排斥を行うことができます。

 これが、排斥制度の怖いところで、言論弾圧の道具になっています。どんな人が背教者とみなされるでしょうか。

 それは

統治体が教える教理とは異なることに信仰を持っている人

です。ただこれだけの理由で、背教者として認定されえます。背教者として認定されるということは、排斥が可能ということです。これはバプテスマを受けるときまでには、教えてくれないと思います。

 長老に出された手紙の効力が取り消されていないのであれば、現在まで存続している考え方だと思われます。なんとかこの状況を打開していきたいですね。

 この考え方でいくと、僕は間違いなく背教者です。背教によって排斥されかねません。コメントしている皆さんは、背教者とお話していますよ。あそこのブログは、ほぼ背教者、ぴゅうは、ほぼ背教者という声が、こっそり見ている長老たちから、声がもれてきます。

 でもね、そんな考え方は、そろそろやめましょうよ。そんなこという人には、それおかしいよ、間違ってるよ、変だよ、怖いよ、恐ろしいよ、愛なんてないよ、と言ってあげましょう。

 一致が大切です、一致が大切です、という方もいらっしゃいますけれど、偽りによる一致には、意味がないんじゃないかな。真実によって歩む道が、キリストの道ではないかな。真実によって歩みたいという兄弟・姉妹が増えてきているのではないかな。うそは嫌だ、隠蔽は嫌だ、ご都合主義はいやだ、悪い結果を見せないのは嫌だ、という兄弟・姉妹が、日に日に増えてきているように感じています。

 真実を求める声を、封殺したら、偽りの道を歩むことを強要することになっちゃいますよ。これから先、組織に対する疑問や不信の声が、本当にたくさん、長老の耳に入ってくると思います。そのときは「統治体による一致」という観点を強硬するのではなくて「いったい何が真実なのか」という観点でぜひ話を聞いてみてください。