神を愛すると言いながら兄弟を憎むならその人は偽り者です

 聖書にはうーんと考えさせられる言葉がたくさんでてくる。今日はこんな言葉について考えてみた。

「わたしは神を愛する」と言いながら自分の兄弟を憎んでいるなら,その人は偽り者です。
(新世界訳聖書 ヨハネの第一の手紙4章20節)

 兄弟・姉妹の中には、エホバを心から愛している方がたくさんおられます。だから、「エホバが好き」という言葉が自然とでてくる。

 でも、この聖句を読むと、「エホバを愛していると言うこと」と、「エホバを本当に愛している」ということには違いがあるということがわかる。

 もし、兄弟・姉妹にたいして辛抱強さを示すことができないならば、まだエホバの辛抱強さを本当に知ったとはいえない。エホバの辛抱に心から感謝しているならば、それにならって、兄弟・姉妹に対しても辛抱強さを示すことができる。

 もし、兄弟・姉妹に対して憤るならば、まだエホバが主権者であるということを知っているとはいえない。怒りがエホバのものであって、エホバが主権者であることを本当に信じているなら、他の兄弟・姉妹に対して憤りを抑えることができる。

 エホバが人のとがを見る方ではなくて、とがを許す方であることを本当に知っていれば、兄弟・姉妹たちの悪い点を見るのではなくて、良い点を探そうとできる。

 エホバがすべての人に公平に救いの機会を差し伸べる方であることを本当に知っていれば、兄弟・姉妹を無視するということは避けることができる。ひとりの兄弟・姉妹を無視するなら、エホバもあなたを無視するということを知っているなら、恐ろしくてそんなことはできないはず。

 (難しい状況を抱えているなら、いつでもエホバに祈りましょう。解決に向かう機会は必ず与えられますよ。)

 エホバを愛しているといいながら、兄弟・姉妹に恨みごとや不満や憎しみを抱く傾向があるならば、まだエホバの愛を知っているとはいえない。神の愛は多くの罪を覆うから、本当にエホバの愛を知っているなら、自分に対する兄弟・姉妹の罪を覆うことができる。

 イエスは「木は実によって知られる」といった。今回の聖句もおんなじことを言っている。信仰は行動によって示されるということだ。ぜひ僕も神の言葉を聞くだけでなくて、それを聞いて実際に行う人になりたいものだ。