愛は真実なことと共に喜びます

 パウロは、愛がなければ、そのほかのことがあっても何の意味もないと考えていました。その他全てのことがそろっていたとしても、愛がなければ、何の意味もないのです。

 愛がしっかりと土台になっていないと、その他のことすべては、無意味なものになってしまうかもしれません。もししっかりとした愛や親切がなかったとしたらエホバから「あたなの犠牲はもうたくさんだ。あなたの手は汚れている。」といわれてしまうかもしれません。

 どのようなことが実際の愛であるかは、コリント人への第一の手紙13章で列挙されています。実際に愛がある人とというのは、ここで書かれている性質を持っています。

 その中の一つに、真実なことと共に歓ぶというのがあります。

愛は(...中略)真実なことと共に歓びます。
(新世界訳聖書 コリント人への第一の手紙13章4-7節)

 真実というのは、嘘をつかないことです。「はい」は「はい」ということです。光のもとに出てくるということです。悪いことを隠さないということです。偽証をしないということです。二枚舌を使わないということです。

 反対に偽りというのは、嘘をつくこと、偽善、二枚舌を使うこと、根拠がないことを真実と言うこと、悪を善ということ、善を悪ということ、悪いことを隠すということです。

 愛によって歩むということには、真実と共に歩むということが関係しています。愛によって歩んでいる人は、真実を愛し、真実とともに歓びます。

 真実とともに歩むということは、時には迫害が生じるものです。偽りを暴露されたら困る人が、強い迫害を持って迫ってくることもあるでしょう。しかし、それでも、偽りとともに生活するよりも、真実とともに歩んだほうがずっとよいのです。

 真実とともに歩むことによって、キリストの愛があなたのうちにあるならば、それは、世を征服する力となるからです。「勇気を出しなさい。わたしは世を征服したのです。」

 真実を知ることは時には辛いことになるかもしれません。今まで信じていたものが、間違いであったことに気づいたときは、強い落胆が襲ってくるかもしれません。けれども、真実とともに歩み、キリストの愛のうちにいるならば、しばらくの辛抱の後に、神がイエス・キリストを通して、きっと助けを与えてくれるはずです。