マタイによる書

何も聞き入れない人々に対してどう対処する?

聞く気持ちがある人には イエスは、聞く気持ちのある人に対しては、こんな風にいっています。 「しかし,あなた方の目は見るゆえに,またあなた方の耳は聞くゆえに幸いです。 (マタイ 13:16) イエスは、耳を傾ける人を褒めています。聞く言葉に対して、心を…

主の祈りを読む

僕は、祈るという行為を、見下げる人が多いと感じる。祈ったのに、神に届かなかった。そして、祈りには意味がないという。ほとんどの人は、本当の意味での祈りというものをまだ知らないのかもしれない。 クリスチャンであるといっているのに、99の批判がある…

キリストへの信仰は、神の裁きに対する信頼でもある

「裁く神」という観点が嫌いな人が多いと感じる。神は、殺人に対しては、殺人で報いる。神の裁きは「殺す」ということと関係がある。どうも、このような神の裁きという観点が、受けられない人が多いと感じる。 もちろん、個人の信仰なので、そのような信仰が…

自己犠牲、利他的という考え方

JWブロードキャスティングをみていると、自己犠牲とか利他的という考え方が頻繁にでてきます。「世の人たちは、利己的な考えを持っている、エホバの民は、そうであってはなりません。自己犠牲や利他的な態度が、エホバに喜ばれます」。JWブロードキャスティ…

神には、善人にも悪人にも雨の恵みを与えておられる

僕は、神の思いの基礎的な事柄について、エホバの証人に伝えたいと思っています。エホバの証人は、うなじの固い民となってしまい、選民的な思想によって、心を腐敗させられています。 たとえば、こういう発言を簡単にしてしましまいます。 エホバの崇拝者だ…

あなた方の義は、パリサイ人の義より勝っていなければならない

差別されている側は、差別されていない側に比べて、たとえ同じことをしたとしても、同じ評価を受けることができません。 特権や権威を持っている人、宗教教団のトップや、テレビに出てくる有名人、有名学者、資産家は、ただ少しの発言をするだけで、名誉を得…

神殿を強盗の洞窟にしてはならないとイエスはいった

イエスは聖なる神殿が、商業施設として利用されているのを見て、非常に憤慨しました。神殿は、祈りのための家であって、商業施設ではなかったのです。また、貧しい人たち、病気の人たちを治療しました。 それからイエスは神殿の中に入り,神殿で売り買いして…

口からでるものが、人を汚す

イエスは、こう語った。 しかし,口から出るものは心から出て来るのであり,それが人を汚します。たとえば,心から,邪悪な推論,殺人,姦淫,淫行,盗み,偽証,冒とくが出て来ます。(マタイ 15:18-19) 何が人を汚すのか。それは、人の口からでてくる悪意、…

神との語らい

組織の欺まんを知ったので、祈ることがなくなったとしばしばブログに書かれていることがある。どういう意味だろうと不思議に思う。 「ものみの塔協会への信仰」と「祈り」がひとつのセットになっていたということなのでしょうか。あるいは「宣教奉仕」と同じ…

嘆き悲しむ者は幸い

今の自分の状況に悲しんでいる人はいますか。生い立ちゆえに差別やいじめを受けてきたなら、その心は悲しみで沈んでいるかもしれません。しかし神は、不公正な方ではないので、その状況をさらに鞭打ったりはしません。 邪悪な世は、悲しんでいる人たちをさら…

イエス・キリストは、たったひとりで、最後の犠牲となられた

イエスは、罪の犠牲となられましたが、イエスが、望んでいたことは、それが、罪に関する最後の犠牲であることです。イエスを、弟子たちが守ろうとしましたが、犠牲になるのは、自分だけでよいと考えました。また、それが神のご意思でもありました。 イエスが…

富んだ人が神の王国に入るのはとても難しい

イエスは、富んだ人が神の王国に入るのはとても難しいといわれました。 「あなた方に真実に言いますが,富んだ人が天の王国に入るのは難しいことでしょう。再びあなた方に言いますが,富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通るほうが易しいので…

体のともしびは目です

体のともしびは目です。 「体のともしびは目です。それで,もし目が純一であれば,あなたの体全体は明るいでしょう。しかし,目がよこしまであれば,あなたの体全体は暗いでしょう。あなたのうちにある光が実際のところ闇であれば,その闇はどんなにかひどい…

その行ないに倣ってはなりません

自分たちの罪については見ないように指導し、人の罪については、強く責めるように指導している、宗教指導者たちがいます。 自分たちの過ちや間違いについては、寛容であるべき、許すべきと指導して、他の組織や他の人の罪については、厳しく、許してはならな…

逃れ場所としての居場所

僕は集まるということについて考えているのだけれど、どういう場所がよいのかを考えている。巨大な組織として集まるという集まり方については、疑問符がつく。それはむしろ、聖書が示している集まり方とは、反対の形の集まり方ではなかろうか。 2,3人で集ま…

ほんの少しの良い物

目にとってはきらびやかに映るものがたくさんあります。刺激的なキャッチフレーズで、心が奪われそうになるものはたくさんあります。けれども、多くの人の平均にとって、欲望をくすぐるものは、僕にとっては、良い物なのではありません。 多くの心配事や不安…

種をまくということの比喩の意味

「種まき人は種をまきにでかけました」。種とはなんでしょうか。種とは、小さなものです。それは、ほんの人差し指の先に乗る程度の大きさしかありません。それは、小さく弱く、まだ生まれてもいません。 種まき人は、たくさんの失望を経験します。種をせっか…

イエスは神殿の中に入り、売り買いしていたものたちを追い出し、両替屋の台を倒された

当時のエルサレムでは、神殿はもはや崇拝のための場所ではなくって、宗教を使って、商売する場所になっていたようです。 それからイエスは神殿の中に入り,神殿で売り買いしていた者たちをみな追い出し,両替屋の台と,はとを売っていた者たちの腰掛けを倒さ…

祈りについて

イエス・キリストは祈りの仕方について教えました。その中に「あなたのご意志が行われますように」というものがあります。 あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように。 (マタイ 6:10) 僕はよくこの祈りをします。公正が回復…

偽善について

偽善とは、簡単に言ってしまうと、見返りを求める善ということですね。尊敬や、人間的すばらしさや、宗教的特権などを際立たせるために行われる善です。その反面、立場の弱い人を振り返れば、その人たちは、ないがしろにされています。パリサイ人のそのよう…

罪のない者を罪に定めなかったでしょう

「完全さ」とはなんでしょうか。聖書的な意味では、スーパーマンという意味ではありません。またミスをしないという意味でもありません。完全さとは、簡単にいえば、100ちょうどであって、50でも150でもないという意味です。 たとえば、善を悪ということ、悪…

自分がしてほしいと思うことを、人にもしなさい

この聖句については、よく知られていると思います。 それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。 (マタイ 7:12) でもうまく実践されないのはどうしてなんでしょうか。たとえば、嘘の証言によって、罪をかぶさられ…

義のために迫害されてきた人たちは幸いです

今日は、イエスが語った山上の垂訓「義のために迫害されてきた人たちは幸いです」(マタイ5:10)について考えます。 どうして義のために迫害される必要があるのでしょうか。ふっと疑問が浮かびますね。どうして、悪いことではなくって、義のために迫害される必…

二人か三人が集まっているところにはわたしもその中にいるのです

イエスがそばにおられるということは、強い助けになります。イエスは、どんな人たちを気遣って、そのそばにいてくださると思いますか。どんな人たちを支えてくださるのでしょうか。孤独な人や、信頼できる友人が少ししかいないと思える人のところにもいてく…

わたしの兄弟のうち最も小さな者

マタイ25章34〜46節はイエスのたとえ話です。趣旨は「イエス・キリストの最も小さな兄弟に対して親切にした人は、それだけイエス・キリストにも親切にした。イエス・キリストの最も小さな兄弟に対して、ひどく扱った人は、それだけイエス・キリストをもひど…

わたしがキリスト(油注がれた者)だと言う人に注意しなさい

僕たちの主イエス・キリストは、終わりの日の出来事について、聖書の中でいくつかの警告をお与えになりました。イエスにしっかりと従いたいと思う人は、イエスの言葉に注意を払いたいと考えると思います。 もしイエスの言葉に従わないのであれば、反キリスト…

幼い者たちをひとりも侮らないようにしなさい

小さな子どもたち、幼い子どもたちにみなさんはどのように接しますか。所詮子どもだからとか、子どもは親に従順であって当然とか、親のほうが育てているから偉いに違いないと考えますか。 1世紀当時においても、「父と母を敬いなさい」というモーセの律法は…

憐れみの施しはひそかにおこなうようにする

たとえば、貧しい人や困っている人に対する憐れみの気持ちから自然と寄付をしたいと思うことがあります。それは自然な感情でイエスも憐れみの施しについてのべておられます。 けれども、寄付をするときに、ぜひともこういう感情は避けたいというものがありま…

独身の賜物を受け入れることができる人は受け入れなさい

ある国や文化圏によっては、結婚していないことは、恥ずべきことやおかしなことだとみなされる場合があります。また年齢的に結婚に遅れている女性を、馬鹿にしたりする風潮も見られることがあります。 したくもない結婚を人から無理に勧められるとしたら、ど…

イエスはイスラエルの失われた羊を探す

1世紀当時、イスラエル人のエホバに対する崇拝は、実質のあるものではなくて、見せかけだけのものになっていました。当時のひとつの勢力であったパリサイ人は、神を崇拝していると唱えていながら、人々を痛めつける人として、イエスから痛烈に批判を受けまし…