罪の責任はだれが背負うべきか

おひさしぶりです。少し更新頻度を減らして、個人研究ノートは、月火水の三日を中心的な日にして、書いていきたいと思います。突然、書きたくなったときは、これらの日以外も書きますが、基本的に、月火水を執筆日にします。 僕は、技術者で、理系の勉強が好…

第八回「復活 - 死と罪からの勝利」 | 死と罪について考える

聖書で感動的な場面があります。それは、ヨハネの福音書に書かれている、イエスがラザロを復活させる場面です。復活というのは、死んだ人が生き返るということです。復活は英語では、リザレクション(resurrection)といいます。何かかっこいい響きですね。 で…

互いに罪を告白して、許しあうということ

僕は、罪について語るということは、悔い改めの感情も含まれていると考えています。それは、自分の恥ずかしい部分だからです。秘密を持ち合って、お互いを監視しあうというのは、非常に窮屈です。そんな窮屈な場所には長くはいれません。 ある宗教の宗教指導…

第七回「あなたは健康になりたいですか」 | 罪と死について考える

イエス・キリストは宣教活動として神の王国を宣べ伝えました。また、イエスは、人の病気を治したり、飢えた人に食料を分け与えたりしました。 イエスは、目の見えない人を見えるようにし、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、皮膚病で苦しむ人を治し、悪い…

第六回「イエス・キリストの贖い(あがない)」 | 罪と死について考える

ここまでは、罪の始まり、罪が全人類に受け継がれていること、さらに多くのことが罪に定められたこと、だれも罪から逃れることはできない、ということを見てきました。 第七回で、折り返し地点を迎えましたが、ここからは、罪と死が取り除かれる希望のお話で…

第五回「あらゆる人は神の栄光に達しない」 | 罪と死について考える

自覚すべきことは、人は罪の内にいるので、だれひとりとして神の栄光には達し得ないとうことです。人間の視線というのは、あの人は優れているとか、あの人は劣っているとか、そのような視線に満ちています。 人は、どんなときでも、あの人は善いとか、自分は…

第四回「罪科のない者を罪には定めなかったでしょう」 | 罪と死について考える

人はより多くのことを罪に定めてきました。それがなんら罪ではないにも関わらず、多くのことに対して非難を与えてきました。その形は、いじめや怒鳴ること、またそれが許されない場合は、無視や避けるという形で現れてきます。 たとえば、服装に関していえば…

第三回「律法は罪を明らかにする」 | 罪と死について考える

さて、罪とは、神の思いに背くということを意味していました。では、神の思いに背くこととは、いったい何なのでしょうか。それは、イエスラエルに与えられた律法を通して明らかにされることとなりました。 モーセの十戒 モーセの十戒というのは、よく耳にし…

第二回「罪とは何か」 | 罪と死について考える

罪とは、原義的には、神から背くという意味です。神に背を向ける、神から離れるというような意味です。 罪とは「神から背く」という意味 この意味で、アダムとイブは、罪を犯しました。つまり、神に背を向けました。神の言葉を守るのではなくって、神の言葉…

第一回「罪の始まり」 | 罪と死について考える

テーマを設定して、しばらくは書いていきたいと思います。ひとつのテーマは、12回で終了します。 聖書は永遠の命について書かれた書物 聖書は永遠の命について書かれた書物です。けれども、この永遠の命というものは、新しく得るというものではなくって、人…

罪のない者を罪に定めなかったでしょう

「完全さ」とはなんでしょうか。聖書的な意味では、スーパーマンという意味ではありません。またミスをしないという意味でもありません。完全さとは、簡単にいえば、100ちょうどであって、50でも150でもないという意味です。 たとえば、善を悪ということ、悪…

罪と悔い改めは自分を責める感情ではない

罪と悔い改めという言葉に対して、みなさんはどんな感情を持っておられますか。この言葉の中の意味には、自分の心の悪い部分を責めるという意味が含まれていると、僕たちは考えがちです。 エホバの証人がやってきて、罪を悔い改めるようにというとき、自分が…