第一回「罪の始まり」 | 罪と死について考える

 テーマを設定して、しばらくは書いていきたいと思います。ひとつのテーマは、12回で終了します。

聖書は永遠の命について書かれた書物

 聖書は永遠の命について書かれた書物です。けれども、この永遠の命というものは、新しく得るというものではなくって、人間がもともと神から与えられるはずのものでした。

 けれども、それは、失われてしまいました。聖書は創世記で始まりますが、ここには、命を失った経緯が書かれています。また最後に位置するヨハネの啓示には、命を得る場面が書かれています。

 つまり聖書は、命を失う場面から、命を取り戻す場面が描かれた書物なのです。そして、それは、信じる人には、ひとりにひとりに関係があることです。

神の子としての自由

 最初、アダムとイブは、エデンと呼ばれる園で生活していました。園には木がたくさん生えており、神は、そのすべてから、とって食べてよいといわれました。アダムには、神の子としての自由が与えられていたのです。

 また神は、最初に、子を産んで多くなり、地を従わせよといいましたが、その後に、命の実をアダムに与えるつもりでした。この実は、命を保つためのものです。

 神は、園のすべての木から食べてよいといいましたが、ただし、善悪の木からだけは、食べてはならないといいました。アダムとイブは、ひとつのおきてを与えられました。すべての木から自由に食べることができるふたりにとっては、そのおきては、軽く心地よいものとなるはずでした。

 アダムとイブが、神の声に耳を傾け、その小さなおきてを守ったならば、神の子としての自由が保たれたはずだったのです。しかし、アダムとイブはおきての大切さを忘れてしまいました。

罪が入り込む

 蛇はイブに語ります。「神はすべての木から食べてはいけないといったのですか。」「いいえ、すべての木から食べてよい、ただし、善悪の木からは食べてはならないといいました。それを、食べれば死ぬから」「そんなことは、ありません。神が、目が開けて神のようになることを知っているのです。」

 蛇は、女を誘惑へと誘いました。あらゆる木から食べることができたのに、多くの満足を得ることができたのに、蛇は、女を強欲へと誘いました。そして、この強欲は、罪を生み出すことになります。

 女は、しだいに、その実を、おいしそうだと思うようになりました。心の中に、強欲をはらんだのです。そして、手を出して、食べます。禁止されていることを、破ったのです。「強欲は罪を生み出し、罪は死を生み出しました。」

 女は、実を、男にも与えます。男の実を食べました。男は、実を食べてはいけないことを知っていましたが、女に従いました。そうして、ふたりは、神のおきてを踏み越えたのです。

 このようにして、罪は世に入り、それは、死を生み出し、全人類へと広がっていきました。



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