ルカ14章35節「聴く耳のある人は聴きなさい」

 立派な人の言葉には、耳を傾けますが、立派でない人の言葉には、耳を傾けません。英雄の言葉には耳を傾けますが、みすぼらしい人の言葉には耳を傾けません。権威ある人の言葉には、耳を傾けますが、蔑まれた人の言葉には耳を傾けません。

 それゆえに、大切な言葉をいつも聞き逃してしまいます。大切な言葉を語ってもらえる機会も逃してしまいます。

 イエスも、伝道活動をしていました。当時の宗教指導者たちというのは、宗教的な権威を持っていましたから、イエスの振る舞いは、神への冒涜のように感じたことでしょう。イエスに対して、蔑んだ見方をしていたに違いありません。

 多くの富を持っている人たちは、イエスの言葉を聞くことができませんでした。いえ、そうではなく、同じ言葉が語られる機会も多くあったはずです。それにも関わらず、多くを所有している人たちは、イエスの話を聞かなかったのです。「富んだ人が、神の王国に入ることはなんとむずかしいことなのでしょう。」

 けれども、また、僕たちも同じ不安を持っています。それは、イエスの言葉を聞くことは、多くのものを失う結果をもたらすかもしれないからです。孤立の道は避けられないかもしれません。

 それでもイエスはこういわれます。

「聴く耳のある人は聴きなさい。」
(ルカ 8:8)

 イエスは、いつも見下げられた人のほうに向かって言葉を語っていました。イエスは、いつでも神に頼り、差別された人のために語っていました。「義のために迫害される人は幸いです。」

 あなたたちは多くの得るのだ、神に不公平はない、そういう気持ちで語っていたと思います。そういう気持ちで語られたので、僕は、イエス・キリストの語った、神の言葉に耳を傾けていきたいと思います。