第三回「律法は罪を明らかにする」 | 罪と死について考える

 さて、罪とは、神の思いに背くということを意味していました。では、神の思いに背くこととは、いったい何なのでしょうか。それは、イエスラエルに与えられた律法を通して明らかにされることとなりました。

モーセ十戒

 モーセ十戒というのは、よく耳にしますね。この十戒では、罪とは何であるかが、明らかにされています。イスラエルに与えられた律法はたくさんあるのですが、この十戒は、主要なものです。

  1. 「わたしはあなたの神エホバ,あなたをエジプトの地から,奴隷の家から携え出した者である。あなたはわたしの顔に逆らって他のいかなるものをも神としてはならない。
  2. 「あなたは自分のために,上は天にあるもの,下は地にあるもの,また地の下の水の中にあるものに似せたいかなる彫刻像や形も作ってはならない。それに身をかがめてはならず,さそわれてそれに仕えてもならない。あなたの神であるわたしエホバは全き専心を要求する神であり,わたしを憎む者については父のとがに対する処罰を子にもたらして三代,四代に及ぼし,わたしを愛してわたしのおきてを守る者については愛ある親切を千代にまで施すからである。
  3. 「あなたの神エホバの名をいたずらに取り上げてはならない。その名をいたずらに取り上げる者をエホバは処罰せずにはおかないからである。
  4. 安息日を覚えてそれを神聖なものとするように。あなたは六日のあいだ務めをなし,自分のすべての仕事をしなければならない。しかし,七日目はあなたの神エホバに対する安息日である。どんな仕事もしてはならない。あなたもあなたの息子や娘も,あなたの男奴隷や女奴隷も,あなたの家畜,そしてあなたの門の内にいる外人居留者も。エホバは六日の間に天と地[と]海とその中のすべてのものを造り,そののち七日目に休みに入ったからである。それゆえにエホバは安息日を祝福して,それを神聖なものとしているのである。
  5. 「あなたの父と母を敬いなさい。それはあなたの神エホバの与える地においてあなたの[命の]日が長くなるためである。
  6. 「あなたは殺人をしてはならない。
  7. 「あなたは姦淫を犯してはならない。
  8. 「あなたは盗んではならない。
  9. 「あなたは仲間の者に対する証人となるとき偽りの証言をしてはならない。
  10. 「あなたは仲間の者の家を欲してはならない。仲間の者の妻を,またその男奴隷,女奴隷,牛,ろば,仲間の者に属するどんなものも欲してはならない」。

(出エジプト記 20:2-17)

 それぞれについて詳しく書きたいところですが、要約だけをしたいと思います。

神エホバが唯一の神

 あなたは、エホバ以外のものを神としてはならない。いかなる偶像に身をかがめてはならない。神の名をみだりに扱ってはならない。

 最初の三つは神に関するものです。罪とは、すなわち神に背くとは、エホバ以外のものを神とすること、偶像に仕えること、神の名を貶めることです。

 イエス・キリストは、「神の名が神聖なものとされますように(マタイ 6:9)」と祈ることを教えました。それは、この十戒の最初の三つと関係があります。

安息日を守り、父と母を敬いなさい

 エホバは、6日間をかけて、創造を行いましたが、7日目は、神のための休日でした。しかし、この休日は、人類の始祖、アダムとイブによって汚されてしまいました。それゆえ、安息日を汚すことが、罪の最初であり、神に背を向けることだったのでした。

 それゆえに、エホバは、安息日を忘れないようにという思いをもっておられます。もちろん、律法は取り除かれました。それゆえに、安息日を守る律法も取り除かれました。けれども、神の安息を犯すということは、罪であるということを思い起こすためには、律法は、今でも役に立つものなのです。

 また父と母、つまり、自分を生み出したものを敬いなさいと、エホバ言います。アダムとイブは、父である神を敬わずに、自分の道を歩んだのです。その結果、罪は入り込み、死がもたらされました。神は、その悲しみをよく覚えておられます。

 それゆえに、「勝手に生んだだけでしょ。勝手に生んでおいて」とか言って親を困らせないで「あなたの父と母を敬いなさい」。

殺人、不倫、盗み、偽証をしてはならない

 次は、殺人、不倫、盗み、偽証をしてはならないということです。殺人、不倫、盗み、偽証は、罪です。

仲間の財産やや妻を欲してはならない

 仲間の財産や妻を欲することは、罪です。

 こんな風に、神から与えられた律法によって罪が明らかにされました。近代社会は、罪という概念から神を取り除きました。人間や国家が神となり、人間や国家に反するということを、罪として定めました。ですから、僕は、現代人は、罪に関しては、不完全な理解に留まっていると考えています。

 本来は、罪という概念には、神が紐づけられていたのです。



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