罪と悔い改めは自分を責める感情ではない

 罪と悔い改めという言葉に対して、みなさんはどんな感情を持っておられますか。この言葉の中の意味には、自分の心の悪い部分を責めるという意味が含まれていると、僕たちは考えがちです。

 エホバの証人がやってきて、罪を悔い改めるようにというとき、自分が悪いことをしていて、それを改めて反省しなければいけないというような感情です。

 でも実はこのような感情は、罪と悔い改めという本来の意味を、ばっちりと表しているとはいえません。

 罪と訳されている言葉は、ヘブライ語聖書で、ハッタートです。この言葉の意味には「外す」とか「迷う」という意味があります。感じでいうと、神のもとから、外れでたとか、迷い出たというような状態を指しています。

 ヘブライ語の語源的な意味もありますけれども、それを裏づけるのは、イエス・キリストが用いたたとえが、まさにこの意味にぴったりあうからです。

 たとえば「迷い出た羊のたとえ話」や「父のもとを離れて、財産を浪費してしまう息子」のたとえ話などです。罪という言葉に「外れる」「離れる」「迷い出る」という意味を見ていたからこそ、イエスはこのようなたとえ話をもちいたと思います。

 それで罪とは次のような状態のことです。

罪とは、神から「外れ」「離れ」「迷い出て」しまっている状態

 ですから、日本語の罪という言葉の意味とは、少し異なるということを、意識して読むのがよいと思います。日本語の罪という意味とかぶっている部分は多いですが「神から離れている」「神への反抗」という意味も含んでいます。

 次に「悔い改める」という言葉は、メタノイアですが、これは「身をひるがえす」ということを意味しています。つまり、背を向けている人が振り返るという意味です。反省という意味ではなくて、、神のほうに振り返って戻るという意味です。

 ですからイエスが「悔い改め」を宣べ伝えたということの意味は「反省しなさい」ということをいったのではなくって「神のもとに戻りなさい」ということを伝えました。つまり「みなさん、神のもとから迷い出て、背を向けていますが、振り向いて、戻ってきてください」ということです。

 まさに、放蕩息子のたとえ話は、この意味にぴったりです。

悔い改めとは、振り返って、神のもとに戻るという意味

 罪と悔い改めの意味を、上記のように理解できたら次の聖句も、心に響くようになると思います。

ぜひわたしたちの道を探り出し,探究し,ぜひエホバのもとに帰ろう。
(哀歌 3:40)

 ぜひ神の道を探り出し、探求して、神のもとに帰りましょう。そうすれば、エホバご自身も、帰ってきてくださいます。

わたしのもとに帰れ。そうすれば,わたしもあなた方のもとに帰ろう
(マラキ 3:7)

 ぜひ神と和解しましょう。神との友好な関係を築きましょう。