イエス・キリストの人物像 第9回 「イエスは贖いを供える」

 誰かの連帯保証人になって、大きな借金を背負ってしまったという状況について考えてみてください。自分が悪いわけでもないのに、ひどい借金を背負ってしまいました。

 豊かな生活は失われてしまいました。汗水たらして、辛い思いをして働かなければなりません。そして、返済しても返済しても、借金はなかなか減っていきません。家族みんなが辛い思いをしています。

 この借金がなくなれば、幸せになれるのにと思うのではないでしょうか。憐れみ深い人がいて、借金を全部引き受けてくれるという人が現れたらとても嬉しいと思います。とても感謝するのではないでしょうか。

 イエス・キリストは、まさにこのお話の中にでてきた憐れみ深い人のようです。最初の人間アダムが犯した罪の代償を、イエスは肩代わりしてくれたのです。

 贖いという言葉は、少し聞きなれない言葉ですね。とてもイメージするのが難しいです。語源的には「覆う」という意味があります。つまり、「罪を覆う」というイメージですね。

 イエス・キリストは、人間と神の間に入って、和解のために仲介者になってくれています。

エホバ
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イエス (仲介者, 罪の覆い)
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人類

 人類はアダムからの罪を受け継いでいるので、罪を消すことはできません。また自分の力で罪を覆うこともできません。イエスという仲介者がいなければ、エホバの目から見れば僕たちは罪人なのです。

 イエスの血によって、僕たちの罪はエホバの目から覆われます。だから、僕たちは罪を持っていますが、イエスの贖いを通して、エホバに近づくことができます。また反対に、イエスの贖いを通してしか、エホバに近づくことができません。

 エホバは「あなたは聖なるものでなければならない。私は聖なるものだからである」といわれるからです。イエスだけが唯一の道であって、エホバに近づく唯一の経路です。イエスの血の犠牲を通してのみ、僕たちは神に近づくことができます。

 イエスは、贖いの犠牲を供えることによって、命の道となられました。イエスはどのようにして贖いを供えたのでしょうか。

 イエスは、聖霊によって処女マリアから生まれました。ポイントは、イエスは、このことによって、人類の罪を受け継いでいないということです。

 またイエスは、ご自分の生涯で一度たりとも罪を犯しませんでした。誘惑の多い人の世で生活していましたが、罪を決して犯しませんでした。これは、絶対に犯してはいけないという罪を犯したアダムとは対象的でした。

 イエスは、小さな罪さえ犯さずに、死に至るまで、エホバに忠節を尽くしました。そのようにして、罪のない完全な命を差し出すという神のご意志を果たしました。

 またイエスは、罪がありませんでしたが、強盗というとても大きな罪を犯した罪人と一緒に杭につけられました。そうです、まるで罪人のような姿で、生涯の最後を終えました。罪のない方が、罪を背負って、死に至ったのです。このようにしてイエスは、贖いを供えました。

 このイエスの犠牲において、神の愛が最大限に表明されています。ご自分に対して罪を犯した人類のために、最愛の子を捧げたのであれば、それはもはや小さな親切ではなくて、過分のご親切です。

 たとえば、自分に罪を犯した人に対して、自分が大切にしているものをプレゼントするでしょうか。その人は愚かな人と呼ばれるのではないでしょうか。けれども、エホバ神はこの愚かなことを通して、人類を罪から救うことをよしとされたのです。

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