ダブルスタンダードに注意する

 ダブルスタンダードという言葉を知っていますか。ダブルスタンダードという言葉は、2重に基準があるという意味で、対象によって意見や方針を変えるという態度です。

 聖書の基準はひとつです。人によって義の基準を変えるということは、エホバもイエスもすることはありません。たとえば、お金持ちの人には基準を緩くして、貧乏な人には厳しくするというようなことは、世の中では普通にあることです。

 けれども聖書の基準は違って、どの人に対しても義の基準は同じです。もちろん僕たちひとりひとりも、人によって意見や方針を変えるといった態度には気をつける必要があります。

自分が教えていることに注意する

 神の愛の本という書籍があります。この本の内容は次のような感じになってます。それは、聖書の基準から見て、してはいけないことと、個人の良心によって決めるべき事柄があるということです。

聖書の基準に照らしてしてはいけないことと、個人の良心によって決めるべき事柄がある

 前者に対してはしてはいけないことです。だからバプテスマを受けた兄弟・姉妹がいれば、長老はきちんと助言をしなければなりません。罪を犯した場合は懲らしめを行います。

 けれども、後者に関しては、助言をすることは良いことですが、見せしめにしたり、さらし者にしたりすることは、決してはあってはならないことです。自分の良心に従って決定することは、聖書を読んで、よく祈って、聖霊に導かれて決定するという大切なことを、個人個人が理解するために必要です。

 どうか、巡回監督や長老たち、神の愛の本をお読みください。そして、個人が良心に従って決める事柄についてよく黙想なさってください。忠実で思慮深い奴隷は「聖書を読んで、よく祈って、聖霊に導かれて決定する」ということをすすめています。

 ですから、自分の義の基準で、他の人の良心を裁いてはいけません。それは良くないことです。そのことによって罪のない多くの兄弟・姉妹が、つまづいてきたのです。

語ることを一致させる

 子どもたちは、自分の親についてよく見ます。自分の親が、外向けには良いことを語っているのに、自分に対してはそれと矛盾をすることを行っていたとしたらどうでしょうか。

 奉仕に出かけていくときには、柔和さや温和さについて教えているのに、会衆のある兄弟に対してだけは、厳しい態度をとっていたらどうでしょうか。たとえば、仕事がうまくできない兄弟を、邪険に扱い、能力のある兄弟をちやほやするという態度です。

 エホバは公正な方です。ご自分の基準をだれに対しても曲げることはありません。すべての人に対して、ご自分の義の基準を要求されます。子どもたちであっても、新しく真理を聞く人であってもです。開拓者であっても、開拓者でない人であってもです。

 ある基準が、誰かにだけ当てはまるということはないのです。神の義の基準に対して、僕たちはエホバに言い開きをすることになります。

 どうかエホバの公正に関して、よく黙想なさってみてください。

個人に適用することは、エホバの証人にも適用する

 たとえば、シンプルな生活が個人に勧められるとします。それほど、お金がなくとも生活できるスタイルです。これは、もちろんエホバの証人に対しても当てはめなければなりません。富の欺きの力が、エホバの証人を欺かないために必要です。

 また正直でありなさいと個人に教えるとすれば、エホバの証人に対しても当てはめないといけません。

 また謝ることはよいことですと個人に教えるとすれば、エホバの証人として謝ることは良いことのはずです。個人については柔和ですが、エホバの証人については心がかたくななのでしょうか。いいえ、個人が柔和であることを進めるとすれば、エホバの証人も柔和でなければなりません。

 柔和な態度で話し合いをすることができていますか。それとも、一方的で、だれかを悲しませる話し方をしていますか。