第八回「復活 - 死と罪からの勝利」 | 死と罪について考える

 聖書で感動的な場面があります。それは、ヨハネ福音書に書かれている、イエスがラザロを復活させる場面です。復活というのは、死んだ人が生き返るということです。復活は英語では、リザレクション(resurrection)といいます。何かかっこいい響きですね。

 ではその場面を見ていきましょう。ラザロというのは、イエスが愛した弟子のひとりです。ラザロの姉妹に、マリアとマルタがいますが、イエスは、彼らの家に遊びにいったりしていました。そのラザロが死に、遺体は、墓の中に入れられます。

 イエスは、ラザロのもとに到着しますが、そのときにはもう死んでいました。女性たちは悲しみ、非常な悲しみがイエスを襲います。

それでイエスは,彼女が泣き悲しみ,また彼女と一緒に来たユダヤ人たちも泣き悲しんでいるのをご覧になると,霊においてうめき,また苦しみを覚えられた。そして,こう言われた。「あなた方は彼をどこに横たえたのですか」。彼らは言った,「主よ,おいでになって,ご覧ください」。エスは涙を流された
(ヨハネ 30:33-34)

 イエスは、ラザロの死を悲しみます。きっと、みなさんも、愛する人が事故や病気で死んでしまったら、悲しいと思います。イエスも死を悲しみました。うめき、苦しみました。イエスは、人として地上に来られ、死を味わっている人の悲しみを身近で知りました。

 ラザロは、死んでからもう4日も経っていました。腐り始めているところでしょうか。しかし、イエスが、父に祈願し、願いを聞き入れられ、大声で叫ぶと、なんとラザロが墓からでてきたではありませんか!

そして,これらのことを言い終えると,[イエス]は大声で叫ばれた,「ラザロよ,さあ,出て来なさい!」死んでいた[人]が,両足と両手に巻き布を巻かれたまま出て来たのである。
(ヨハネ 11:43-44)

 天の父は、死に打ち勝つ力を持っておられます。それを、イエスは、復活を見せることで示しました。復活は、嘘ではないということ。真実におこることであること。父は、死を取り除くことができる方であるということ。

 罪と死を取り除くことを意図しておられること。人に命を与えたがっていること。「復活などない」という人もいました。けれども、復活はあります。死んでいた人がみな墓からでてくるときは、やってきます。塵に返っていた体が、元に戻るのです。

 イエス・キリストは、病気を治して、さらに人を生き返らせることで、天の父である神の意図を、人々に伝えました。神は、罪と死を憎み、義と命を愛する方です。そのことを、宣べ伝えることによって、人々に示しました。王国が実現することを、人々に見せたのです。



罪と死について考える