神には、善人にも悪人にも雨の恵みを与えておられる

 僕は、神の思いの基礎的な事柄について、エホバの証人に伝えたいと思っています。エホバの証人は、うなじの固い民となってしまい、選民的な思想によって、心を腐敗させられています。

 たとえば、こういう発言を簡単にしてしましまいます。

  • エホバの崇拝者だけになった世の中はなんてすばらしいのだろう
  • わたしたちの組織だけが、エホバのご意思を行っていると確信しています
  • 組織に文句があるなら断絶してでていけばよい

 このような思考回路のどこに問題があるでしょうか。それは、神の思いの基礎的な事柄を前提にするならば、こういう発言は安易にはでてこないであろうということです。これは、もっぱら、偶像崇拝者のような発言であるということです。

善人にも悪人にも雨の恵みを与える神

 主イエス・キリストは語ります。

「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい。それは,あなた方が天におられるあなた方の父の子であることを示すためです。[父]は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ,義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです。というのは,自分を愛してくれる者を愛したからといって,あなた方に何の報いがあるでしょうか。
(マタイ 5:43-46)

 現役のエホバの証人で、ブログを書いている兄弟・姉妹には、ぜひこの聖句を、しっかり読んでいただきたい。神が、悪人に対しても恵みをしめすのであれば、崇拝者であるわたしたちも、悪人に対して恵みを示すべきです。

 いつでも対話を阻み、見下し、人を背教者と呼び、事情を考慮せず、熟考もせず、ただ盲目的に歩み、自分たちだけに、陶酔し続ける。

 僕はいいましょう。「自分を愛してくれる者を愛したからといって、それに何の報いがあるのですか」。

 いつでも、選民意識が、ブログの表現でとがっていますよ。それに、自覚がありますか。その選民意識が、人をいらだたせているということに気がつくことができればよいと思います。選民意識では、自分も救えないし、人も救えないですよ。

 「わたしたちは、特に素晴らしくもなんともない。」と、素直に言ってみることです。「たくさんの間違ったことをしている。間違いを減らしていきたい」と、心からいってみることです。物事を隠して、よいとろこばかりを、無理に映そうとしてもよい結果を生みませんよ。

 いつでも、謙遜でいましょうよ。

それゆえ,だれでもこの幼子のように謙遜になる者が,天の王国において最も偉大な者なのです。
(マタイ 18:4)