輸血を良心上の決定で行うようにすることができるようにする
僕が持っている長期的な目標のひとつに、輸血を良心上の決定で行うようにすることができたらいいなぁということがあります。輸血をするかどうかは、最終的な救いとは何の関係もないと思います。滅ぼされもしないし、神から非難されることはないと思います。エホバへの忠節は、かかっていません。
反対に、命をないがしろにする狂信的な信仰は、エホバを怒らせて、裁きのときに問いただされる可能性があります。どうして、間接的に殺人にかかわったのかということが、ひとりひとりにきかれる可能性があります。
ひとりひとりに聞きます。命をのべ伝えていながら、どうして殺人をのべ伝えているのですか。「わたしが喜びとしたのは愛ある親切であって,犠牲ではなかったからである。(ホセア6:6)」と書かれているのに、どうして他の人を、犠牲に差し出して、神を崇拝している気になっているのですか。
長老の教科書から「輸血をすると断絶」という文章を取り除くこと
目標は、輸血をすると断絶したものとみなすこと書かれた、長老の教科書の文章を取り除くことです。輸血をすると断絶したとみなすという、みなし断絶制度は、エホバの証人の社会が持つ制度の中でも、最悪の部類に分類できる制度だと思います。
断絶したとみなされるということは、排斥された状態と同じだということです。つまり、すべてのエホバの証人から、集団で無視されるということを意味しています。村八分ならぬ、村十分にされます。
優しいエホバの証人の兄弟・姉妹たちは豹変し、世界でもっとも冷たい人たちになります。あれほど愛を語っていた兄弟・姉妹たちは自らの身の保身のために(断絶した人と接すると自分も排斥される)、その人を無視するようになります。それならば、最初から愛など語らないほうがいい。
ですから、どうかこれからエホバの証人としてバプテスマを受けようとされている方は、このような制度が存在するということを知っておいてください。
どうやって進めていくか
どうやってこの困難な状況を改善していくことができるでしょうか。アイデアはいくつかあります。
輸血拒否に賛同しないエホバの証人もいるということを広く知らせる
ひとつめは、エホバの証人の中にも、輸血拒否に賛同しないエホバの証人もいるとうことを、たくさんの人に知ってもらうことです。こうすると、どんな状況が生じると思いますか。それは、宣教している兄弟・姉妹が、エホバの証人のすべてが、輸血を拒否しているということを、言うことができなくなります。
すると、それを強制することができなくなります。「エホバの証人の中にも、輸血拒否に賛同していない人がいるのを、インターネットで見たわ」といってもらうことができると、輸血拒否をものみの塔協会が維持しているままでは、宣教がうまくいかなくなります。
医療関係者の方に、医療連絡委員会と交渉してもらう
医療機関連絡委員会は、エホバの証人としての総意を伝えるというスタンスで活動している委員会です。でも、エホバの証人の全員が、輸血を拒否したいのではなくって、エホバの証人の中にも輸血拒否に賛同しないという人がいるということを、医療関係者が知ってくれるようになったらどうでしょうか。
医療関係者は、エホバの証人全員の総意ではないということを知ってくれれば、医療機関連絡委員会に、その旨を伝えることができます。全員が支持しているわけではなくて、インターネットで、こういう考えを持っている人もいるということが伝われば、エホバの証人全体の総意として交渉することができなくなります。
医学部の授業では、エホバの証人の輸血拒否に関する授業があるそうです。医学生の方が、エホバの証人全体の総意ではないということを、理解してもらえるようになれば、また何か新しい変化が起こるかもしれません。