二人か三人が集まっているところにはわたしもその中にいるのです

 イエスがそばにおられるということは、強い助けになります。イエスは、どんな人たちを気遣って、そのそばにいてくださると思いますか。どんな人たちを支えてくださるのでしょうか。孤独な人や、信頼できる友人が少ししかいないと思える人のところにもいてくださるのでしょうか。

 追い出され、排除され、無視され、差別され、今現在辛い思いをしている人のそばにもおられるのでしょうか。聖書にはこうあります。

二人か三人がわたしの名において共に集まっているところには,わたしもその中にいるからです
(新世界訳聖書 マタイによる書18章20節)

 イエスは憐れみ深い方です。孤独であったり、数人であったとしても、イエスはそばにおられます。イエスに信仰を働かせるなら、その中にいてくださるのです。

 ですから、どうか神に助けを祈り求めてほしいと思います。そうすれば、神の愛は、兄弟・姉妹たちを動かして、排除され、差別されている人のもとにも、出かけていきます。自らの危険を冒しても、イエス・キリストの名のために出かけていきます。

 エホバは、散らされた羊を再び集めると言ってくれているので、絶望的になることもありません。真実を告げたため、また善いことをしたために、人から見放されているなら、それは神にとってはよいことです。悪を行って賞賛されるよりは、善を行って非難されるほうが、神の目からは善いことだからです。

 僕たちは世にある巨大なもの、国家、企業、宗教組織よりも、はるかに、イエス・キリストが強い方であるとういうことを知っています。イエスは神の王国の王であるので、他のもろもろのすべての権威を、無にすることができるからです。

 この方のもとにあって、強く立っていましょう。さげすまれ、馬鹿にされ、非難されたとしても、この方を土台として立っているならば、決して崩されることはないでしょう。もしイエス・キリストの土台の上に立っていないならば、表面的には強く見えたとしても、時間がたつと、土台がもろいということが明らかになります。それが明らかになる時を待ちましょう。