エレミヤの本p50から始まる「進んでエホバに形作っていただく」は統治体の誘導が強いので指摘しておきます

 この副見出しでは「エホバに形作っていただく」が、最終的には「エホバ」の部分を「奴隷級」に変えてしまって、「神に導かれている奴隷級に形作っていただく」という風にすり替えが行われます。ですから、注意して読んでください。

 では、少しづつ検討します。

わたしたちは、エホバの世界的な会衆の助けによって、特定の事柄に関する聖書の原則を学んでいます。
(エレミヤの本 p15)

 さてここででてくる「エホバの世界的な会衆」とはいったいなんでしょうか。そんなのあったけかなぁと思うかもしれませんね。おそらくこれは、僕たち一般のエホバの証人は知らないけれど、長老に手紙を送り指示を出すときに差出人となる「エホバの証人のクリスチャン会衆」という宗教法人を指していると思われます。これは統治体の監督下にあるので、実質的には統治体あるいはものみの塔協会です。

 書籍の中では、統治体とものみの塔協会は、直接自分の名前を出す代わりに、「組織」や「奴隷級」などあいまいな表現を多用します。その理由は、責任を逃れるために、直接指示しているという印象を、与えたくないからだと思われます。

 長老の頭の中でだけ「奴隷級」が「統治体」に「組織」が「ものみの塔協会」に置き換わればいいんです。そうすれば言い逃れができます。

 さて、ここからはエホバに形作ってもらおうという話に移ります。それ自体は、聖書に書かれているので、なんら悪いことではないですが、これを「統治体」に摩り替えるということが問題です。

誉ある目的のためにエホバに形作ってもらうようにしましょう。

「自分で自分の歩みを導こう」とする若者もいます。あなたは、決定を下す際に神に頼りますか。
(エレミヤの本 p51)

 まず、ここで聖書が述べている言葉を語っています。エホバに形作られること、決定をくだすときに神に頼ることは、ぜんぜん問題ではないです。

 さてこう続きます。

エレミヤは、割り当てを果たすために神の導きに従う必要がありました。あなたがエレミヤだったなら、そうした指示すべてに応じたでしょうか。

 ここでは「割り当て」とか「指示」という言葉が出てきます。実質的に、統治体が言いたいことは、「神の割り当てや神の指示に従いましょう」という意味ではなくて、「統治体の割り当てや指示にしたがいましょう」という意味です。

 「統治体は神に是認されている。それゆえに、神に是認された統治体に従うことが、神に従うことになる」というロジックを振り回してきます。

 僕ははっきりといいますが。統治体は、まったく神に是認されていません。1914と1919年はでたらめな年であって、奴隷級として任命されたというのは、でたらめです。それゆえに、神に是認されていない統治体に無条件に従うことは、人間を神のようにみなしている点で、エホバが最も憎むことでもあります。

服装や身なり、教育や仕事の選択、飲酒についての見方などの点で、そういう反応をすることがあります。あなたは、エレミヤのように、神の指導に従おうと決意しておられますか。

 さてここは、自分の頭で吟味しないといけません。聖書は「服装を整えることではなくて、内なる人によって身を飾るよう」にと教えています。ですから、服装を整えすぎないという神の指導に服することが賢明だと僕は思います。

 また教育と仕事については、聖書は何も述べていません。それゆえに、書かれていないことについては、特定の人の判断よりも、良心の働きを尊重したいと思います。そうすることによって、聖書に書かれていないことを断定的に話すという罠から逃れることができます。

いずれにせよ、み言葉に収められているエホバの導きに従い、忠実な奴隷級を通して与えられる指導にこたえ応じるなら、永続的な益が得られます。

 さて、とうとう登場しました。ここでは、エホバと奴隷級を横に並べていますね。実質的には、長老にまで到達すると、奴隷級がエホバ神の権威を越えます。神ではないものの言葉を、神の言葉のようにみなすことが、エホバとイエスにとって、どれほど不快なことかを一度考えてほしいと思います。

 エホバ神以外の神、すなわち「悪霊」や「偶像」に導かれたいとは僕は思いません。イエスとエホバというおふたりだけに対する信仰、これが永遠の命を意味しています。