自己犠牲、利他的という考え方

 JWブロードキャスティングをみていると、自己犠牲とか利他的という考え方が頻繁にでてきます。「世の人たちは、利己的な考えを持っている、エホバの民は、そうであってはなりません。自己犠牲や利他的な態度が、エホバに喜ばれます」。JWブロードキャスティングは、このような考え方に、意図的に誘導しようとしている。

 自己犠牲や、利他的という考え方は、一見すると美しい。その考え方は、人を、陶酔させる要素がある。利己的に生きずに、自己犠牲を払い利他的に生きている自分。そのような素晴らしい行いを行っている自分に酔ってしまう。

自己犠牲と利他的な振る舞いは、不公平を拡大する

 このような感情を、宗教組織は巧みに利用する。そして、自己犠牲を払い、利他的と信者に信じ込ませている行動は、宗教組織の利益に向かって誘導される。

 宗教組織は、力を増し、富を増し、自由を増し、決定権を増す。一方で、信者は、力を減らされ、富を減らされ、自由を減らされ、決定件を減らされる。

 強きもの富むものはさらに富み、弱きもの貧しきものはさらに弱くなる。富の不公平が、ますます増す方向に、活動は誘導されていきます。決して、公正や公平に関して、貢献などしていないのです。

 そのために、子供たちにかけられるお金は減ります。子供たちは、支配に服せられ、学校にも生かせてもらえず、ほしいものの買ってもらえず、弱い立場のものが、さらに弱い立場におかれることになります。一方で、組織と巨大な偶像は、その力を増していく。

 このように不公平に貢献する自己犠牲を強いる空気が、エホバの証人のなかにある雰囲気となっています。これは、組織を肥え膨らませる偽善的な自己犠牲です。人々の公正や公平に、何一つ貢献していないからです。弱い立場におかれた人々に対する、憐れみを何一つ持っていないからです。

偽善的な自己犠牲について、キリストはすでに言及している

 偽善的な自己犠牲について、キリストは、言葉の中で、すでに言及しています。エホバの証人の兄弟・姉妹のみなさんには、偽善的な自己犠牲について、もう少し考えてほしいと思います。

それで,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』とはどういうことなのか,行って学んできなさい。わたしは,義人たちではなく,罪人たちを招くために来たのです」。
(マタイ 9:13)

 自己犠牲や利他的という言葉を聞いたときに、それに酔わずに、一度自問してみてください。自分に酔っているだけではないか、偽善な自己犠牲ではないかということ。

 僕は、現在のエホバの証人の傾向に対して、少し仕事を増やし、寄付は、自分の銀行に貯金しておくことを勧めます。なぜなら、肥え太っているのは組織で、皆さん方は、貧しいからです。そして、ものみの塔協会に蓄えられた富が、協会の思考を狂わせていて、それが、ドラッグのようになっているからです。

 最高級の腕時計、最高級の施設、最高級のオーディオ機器、そのようなものを、寄付で購入して、自分たちの威光を高めようとしていますよ。貧しいのは、皆さん方です。ですから、まず、自分の預金口座に、お金を蓄えてください。また、そのお金は、将来、隣人の助けになるでしょう。協会に預ければ、必要以上に高額な消費に消えてしまうだけです。