建築技術は、高等教育で身に着けるものです
最近、ものみの塔協会は、建築技術を持ったエホバの証人をかき集めようとしている。特に、アメリカ本部では、その傾向が、著しく強い。模範的なエホバの証人の中から、建築技術を持った人を探す。
でも、ちょっと待って。模範的なエホバの証人が、建築技術という高等教育によって得られる技術を持っているということがありえるかい?
ものみの塔協会は、高等教育を徹底的に否定してきました。そして、高卒で開拓奉仕を行うことが最善の生き方だと、言い続けてきました。
しかし、今や、翻って、建設技術という高等教育によって得られる技術を持っているエホバの証人を、一生懸命探しています。
大学などで、建築の技術を習得した人を、ものみの塔協会は、探して、集めているということです。どうして、高等教育批判を、しておきながら、厚顔無恥に、高等教育の結果を利用しようとするのでしょうか。
高校までの基礎教育には、建設技術が含まれていないのはいうまでもありません。建築技術は、それ以上の技術に該当し、高等教育に該当します。
これが、ものみの塔協会のダブルスタンダードです。高校卒業で開拓奉仕を始めさせられたみなさん、怒ってもいいんですよ。今や、ものみの塔協会が、特別に評価するのは、大学などで建築技術を学んだエホバの証人ですよ。
ものみの塔協会の手のひら返しに、怒ってもいいんですよ。矛盾を感じているなら、そのままにしておかないでください。変だなぁとか、違和感を感じるという感情に、素直に向き合ってみてください。
「変だと思うし辛いけど、これは試練だ」とか「いつかエホバが正してくださる」とか「こういうときは、奉仕や集会に集中しよう」とか、そういう、誘導された価値観に向かってしまわないでください。
「高等教育はだめだっていっているけど、建築技術は、どう考えても高等教育だよね。それなのに、どうして、子供たちには、高等教育を教えるの」そういう、矛盾を感じる気持ちを、大切にしてください。そして、辛いなら、辛いということ。
忍耐は、感情を押し殺したり、精神的にまいってしまうためにするものじゃありません。前にも書きましたけど、長い間辛いとか、苦しいというのは、何かがおかしいということなんだ。その感情に素直になりましょうよ。