信教の自由と私的自治の原則。人権侵害とレリジャスハラスメント

 信教の自由という言葉を知っていますか。これは憲法定められた国民の権利であって、国家権力によって、個人が何を信じるかを侵害されないという自由を保障する規定のことです。戦時中などをみればわかりますが、国家権力は、国民に対して信教の自由を制限する傾向があります。

 ですから、信教の自由という考え方は、国民が何を信じるかという自由を、国家権力から守るという趣旨です。

信教の自由という考え方は、国民が何を信じるかという自由を、国家権力から守るという趣旨

 さて次に、集会・結社の自由が、憲法では保障されています。これは、集会や団体を作る自由を、国家権力から守るという趣旨です。

集会・結社の自由は、集会や団体を作る自由を、国家権力から守るという趣旨

 さて次に、私的自治の原則という考え方を見ましょう。私的自治の原則とは、「個人は,私的な権利・義務関係を,その意思によって自由に決定し規律することが最も妥当であるとする原則」です。

 個人は集まって団体を作ることができますから、この団体においても、自由に決定して規律することができます。つまり、個人が集まった団体において、規律を作って律することが、認められています。

個人は,私的な権利・義務関係を,その意思によって自由に決定し規律することができる

人権侵害との関係

 しかし現実的な問題として、国家権力という巨大な組織だけではなく、巨大になった組織による個人への圧力という問題が、発生しています。たとえば、宗教組織は、憲法によって国家権力から守られて自由を得ていますが、巨大になった宗教組織が、個人の自由を不当に制限するということが、発生しています。

 エホバの証人の最大の問題点は、エホバの証人から離脱しようとしたときに、ものみの塔協会は、全員で無視するという大きな制裁を個人に加えるということです。これは、その後に長期間にわたって家族関係や交友関係を害するので、このような過度な制裁を行う自由を、宗教組織に与えてはいけないと僕は考えています。

 宗教法人法や憲法によって、宗教団体は信教の自由、規律する自由を得いていますが、その自由を使って、個人に対して、不当に過度な制裁を加えるようなことは、大きな問題です。

 このような観点で議論をすれば、もしかしたら、排斥による実際の被害を受けた被害者だけが、原告適格を持っているのではなくって、過度な制裁を受ける可能性のあるエホバの証人であれば、だれでも原告適格を持っていると考えることも可能かもしれません。

レリジャスハラスメントとの関係

 宗教団体が私的自治の原則をもって、自ら定めた規律によって律することが可能であったとしても、それらは、公正な価値感によって、定められ、運用される必要があります。もしそれを怠るのであれば、レリジャスハラスメントとなります。

  • 操作や圧力によって宗教団体に入信させられる。
  • 教祖や宗教団体に盲従させられる。
  • 宗教団体から脱会しようとすると、「ひどい目に遭う」と脅される。
  • 宗教団体内部における性虐待や幼児虐待などの虐待。
  • 不必要なまでに多額の経済的負担が課せられる。
  • 教義に対する批判・疑問は厳禁とされ、他の思考は許されない。

レリジャスハラスメント(Wikipedia)

 エホバの証人の規律の運用は、レリジャスハラスメントに該当していると考えられるものが非常に多いです。エホバの証人の兄弟・姉妹に知ってもらいたいのは、僕たちはキリストを宣べ伝えておきながら、実際の内部運用はレリジャスハラスメントを行っているということです。

 宣教奉仕をする前にまず、このエホバの証人が抱える人権侵害問題とレリジャスハラスメントの問題について考えてみませんか。この問題を解決しなければ、すっきりとした気持ちで、気持ちよく宣教をすることなど、できないではありませんか。