情報公開を求める

 ものみの塔協会に必要だと思うのは、情報公開です。少なくともものみ塔協会にとって、必要的に非公開にする情報はないと思います。、軍事的機密を持っているわけでも、他の企業と競争するための知的所有権を持っているわけでもないです。

 一般的にいって、現在存在する宗教法人は、信教の自由を盾にとって、運営者が、信者に対して、情報を非公開にしすぎだと思います。たとえば、ものみの塔協会が、投資セミナーに参加して、投資に励んでいるという情報は、なかなか外部にはでてきません。

 少し前の日本では、うわさですが、株式投資に失敗をして資産100億円くらいが失われたという情報もあります。真相はなぞなのですが、資産額が、突然減っているのです。

 寄付がきちんと運営されているという期待や前提はやめにして、最初からすべてを明らかにしてしまうのがよいと僕は思います。

知る権利

 ものみの塔協会は「世の知恵はサタンじゃー」といって忌避しますが、実際には参考にできる知恵はたくさんあります。こういう散らばっている役に立つ知恵を、神という観点から組み合わせ直してみると面白いです。

 知る権利とは、憲法に定められている表現の自由の派生として登場した「国に情報の提供を求める権利」のことです。

 国も巨大な組織として機能しているのですが、組織が巨大になればなるほど、運営機関が、個人を圧迫する危険性が高まっていきます。運営機関が情報を独占して、故意に秘密にしたり、都合のよい情報だけを流したらどうなるでしょうか。

 組織が裏で悪に手を染めていたとしても、チェックすることができません。今のものみの塔協会とエホバの証人はこのような関係です。

 もし情報が公開されていれば、それがチェックされるという自覚が芽生えるので、不正や道義的にやましい方法でお金をもうけることはやりにくくなるでしょう。情報が公開されない場所には、既得権や何か後ろめたいものがあると考えてよいと思います。

 ものみの塔協会に求めたいものは、「運営に関してエホバの証人が知る権利」です。性的虐待裁判で敗訴して800億円の資産凍結があって、そのために資金的に困難をもたらしているのに、それを隠したままで、追加の寄付を会衆の寄付箱からとろうとするのは、どういう考えなのでしょうか。

 真剣な表情で「大会会場のための寄付が発表されたよー」といっている姉妹を見て僕は悲しくなりました。無知でいるから喜べるのでしょうが、隠し続けているものみの塔協会は、腹立たしいです。